Netflixで『全裸監督』全8回を観た。取るに足らないものだと思いつつも、ところどころ飛ばしながらついすべて見通してしまった。この作品はそこまでひどくはないけれど、ドラマや映画にしても、漫画やアニメにしても、しっかりとした内実がないまま、ある種の感覚を刺激する中毒性で観客を引きつけようとするものが近年特に多くなっている気がする(僕はやらないけど、たぶんゲームの領域もその傾向は顕著だろう)。そしてそういう作品は、それぞれの存在が内発的でないぶん、作品同士で似通ってくる。
その意味では、『全裸監督』はたまたま集まった素人同然の人たちが自らの感性と才覚でオリジナルな作品/商品をつくり、在庫を抱えながら手探りで販路を得て、全国の潜在的な観客にそれを届け、それに対する個人的・社会的な反響が金銭の対価とともに現れるという「世界の小ささ」とでも言えるようなことにおいて、今の僕にも響いてくるところがあった。それはインディペンデントに雑誌を発行する僕自身の個人的な憧憬でもあるだろうけど、意外と現代社会における80年代への回顧的なまなざしとも重なるのかもしれない。