ある種の作品が「子どもたちに悪影響がある」といって非難/規制されることは昔からよくあって、それに対して例えば「殺人を描いた漫画を読んだからといってその人が殺人を犯すわけではない」といったふうに、「表現の自由」や「作品の自律性」を擁護する反批判も常にされてきたと思う。
この両極に対し、僕はどちらかと言うと後者のほうが進歩的だと思って共感してきたけれど、最近は自分自身が歳を取ったせいか、前者の気持ちも分かるようになってきた*1。非難や規制をするかどうかはともかく、あるいはその影響が悪影響かどうかはともかく、作品がそれに接する人に影響を与えないはずはないだろう、と。その影響を否定するのは、作品の存在を擁護するようでいてむしろ逆に作品の力を見くびっているようにも思えてしまう。作品からの影響は「殺人を描いた漫画を読んだから殺人を犯す」というほど直接的ではないにしても、「朱に交われば赤くなる」と言われるような意味で、無自覚のうちにその人の認識の基準を左右するということは十分ありえる。だからこそ昔から、創作の道をこころざす人に対しては、「若いうちに良い作品をたくさん観ておきなさい」ということが言われるのだろう。

*1:20年近くまえに書いたこの文を読むと、若い頃から前者的なことを考えがちだったような気もする。 https://richeamateur.hatenablog.jp/entry/20110316