昨日はその後、これも谷口吉郎による設計の東京国立近代美術館(1969年竣工)を訪れ、「ゴードン・マッタ=クラーク展」、「MOMATコレクション」展、「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」展を観た。
マッタ=クラーク展はわりと期待していたのだけど、残念ながらあまりうまく受けとめられなかった。多くの人が言うように、もともとマッタ=クラークの創作はかなりアクション性・イベント性が強く、たぶんその時代のその場所にいないと十分に体験することができないものなのだと思う。また、地震をはじめとする自然災害でいとも簡単に建物が破壊(および建設)されてしまう日本において、あえて建物を破壊するマッタ=クラークの創作に(とりわけ建築関係者として)作者の意図どおりのリアリティを認めることも難しい気がする。例えば一見マッタ=クラーク的な《駒沢公園の家》(2015年11月22日)や《西大井のあな》(5月8日)も、その既存家屋の破壊行為はあくまでよりよい住環境の形成のためになされているのだから、マッタ=クラークの創作を建築の文脈と直接的につなげることには慎重にならざるをえない。
賛否両論ある展示デザイン(小林恵吾)については、そもそも作品をうまく受けとめられなかった僕にはなんとも判断できないけれど、少なくともそれぞれの展示空間の分節の仕方や動線計画、動画を見せる場所の作り方などはよく考えられていて、機能上うまくデザインされていたと思う。あとはその展示デザインの材料や組み立て方のテイストが、マッタ=クラークの作品そのものとどういう関係にあるか(調和、共鳴、干渉、簒奪…)ということがポイントになるのだろう。

「MOMATコレクション」展では『建築と日常』No.5()の表紙に使った小泉癸巳男の〈淀橋区新宿街景〉(5月4日)その他の版画作品が展示されているというので楽しみにしていた。以下、その展示風景。やはり屋内のこういった場所でフルオートで撮影するのはかなり厳しい(それしかできない)。ひどい色になってしまった。

淀橋区新宿街景〉は小泉癸巳男の作品集『版画 東京百景』(講談社、1978年)のものよりも黄ばみがなくきれいに見えた。あらためて見ると左右の作品も鮮やかで表紙向きに思えたけれど、描かれている建物からして「平凡建築」というテーマからはすこし外れそうだし、右上に載せるべき雑誌タイトルが埋もれてしまいそうな気がする。