下記、谷口吉郎『雪あかり日記』(東京出版、1947年)の基になった連載より。河出書房の『文藝』は戦時中も続いた唯一の文芸誌らしい。

「建築」のことを考へると、いつも、なにかしら樂しいものが心のうちに浮んできて、暗くならうとする私の氣持を明るく引き立てゝくれた。もし、畫家だつたら、虚無的な畫家があつていゝのかもしれない。そんな繪も繪とならう。詩人にも厭世詩人があつてもよからう。そんな詩も、詩の中にあつていゝ。しかし建築に厭世主義はない。虚無的な建築と云ふものは何であらう。そんな建築はない。

  • 谷口吉郎「雪あかり日記 その二」『文藝』1944年12月号

1938年から39年にかけてのベルリン滞在時のことが書かれた文だけど、その後5年ほどを経た戦争末期の心境も反映されているのかもしれない(戦後の単行本版は確認していないけれど、文庫版『雪あかり日記/せせらぎ日記』(1月8日)では、他の多くの部分とともに、ここも多少書き改められていた)。読んだとき、香山先生もこれと似たようなことを書かれていたなと思った。

 人間の共同の価値を表現することこそ建築が最も力を発揮するところです。もし君が、自分の個人的な内面の感情を表現したいと思うなら、たとえば、悲しみや不安や苦しみを外にexpressしたいと願っているのなら、建築という芸術は不適当でしょう。むしろ、ヘーゲルの分類の第3番目に示される、絵画か、音楽かあるいは詩を選ぶべきでしょう。
 またあるいは君は、自分の生きている世界に対して肯定的な表明でなく否定的な表明をしたいと願っているかも知れません。「……である」とか「……しよう」とかではなく、「……ではない」とか「……するな」としか言えない時、それだけが言いたい時は誰にでも確かにあるでしょう。しかし、その時に君は建築を選ぶべきではないのです。むしろたとえば文学、あるいは批評という手段こそが、選ばれるべきでしょう。


 建築という芸術は、否定ではなく肯定を、悲しみよりは喜びを、不安よりは希望を、闇よりは光を表わすのにふさわしい芸術なのです。それも、私ひとりの光、ではなく、私たち共同の光を表わすのです。建築は分裂の中においては成立することはできず、常に一致の上にしか成り立たないのです。それでこそ建築は、デューイの言う「不朽の銘文」となるのです。