Giorgio Morandi

僕が好きな映画監督は基本的に「どの作品も大体同じ」系の人だということをすこし前(2月6日)に書いた。その「どの作品も大体同じ」系の作家を芸術全般で考えてみたとき、画家のジョルジョ・モランディ(1890-1964)は筆頭に挙げられるような人だと思う。モランディの静物画はまさにどの作品も大体同じだ。テレビ東京美の巨人たち』によれば()、そのモランディがピカソの絵について「いつも同じで退屈」と言ったらしい。発言の真意は分からないが、興味をそそられる。
一方、モランディを僕が好きな「どの作品も大体同じ」系の映画監督たちと同系統に考えていいかどうか、ひとつ疑問もある。僕が好きな映画監督たちは、小津にしてもベルイマンにしてもロメールにしてもカサヴェテスにしても、基本的に人間の日常の世界を描き、そのことが作品の本質と不可分になっている。モランディの静物画もまさに日常の事物だとは言えるけれど、あのビンや食器は、ただ単に身近にあって自分の自由にできた造形物という以上の意味、たとえば「人間の暮らしや文化とともにある物」というような意味は持っていたのだろうか。モランディのことをよく知らないのだけど(去年の東京ステーションギャラリーでの展覧会も行かなかった)、そこがどうであったかは、少なくとも僕にとってわりと大事なことのような気がする。