せっかく日本建築学会の会員になったので、ホームページからログインして、PDFでアップされている学術論文をネットサーフィン的に流し見た。そのうち羽藤広輔「建築家・白井晟一の著作にみる伝統論」(『日本建築学会計画系論文集』712号、2015年6月)()は、2017年日本建築学会奨励賞を授与された論文(→選評PDF)。白井晟一の各時期における伝統論を通覧しながら、縄文か弥生かという対立で知られる1950年代の伝統論争の意味について特に考察している。
この論争については後年大江宏が、「だから、あの伝統論争のときに、ぼくが一番気に入らなかったのは、あれはもうまったくの抽出、アブストラクトですよ。木造建築の枠組、スペース・フレーム的なストラクチュアだけを抽き出してきて、その形骸だけを鉄筋コンクリートで真似する、それが伝統の継承だなんていう、まことに浅薄皮相な、ね。」(「歴史意匠の再構築」聞き手=宮内嘉久、『大江宏=歴史意匠論』大江宏の会、1984年)と批判的見解を述べているけれど(特に丹下健三に対して)、以下、本論の結論部分によれば、論争の当事者だった白井晟一も、実はこの大江宏と重なる認識を持っていたということになる。

白井晟一の伝統論において象徴的とみなされてきたエッセー「縄文的なるもの」は、縄文文化を賞賛するものではなく、その真意は、創造の主体が、表面的な形象に惑わされずに、いかに内的な潜在力を掴むかという主旨であった。[…]1950年代に語られた白井の主張の要点は、創造の主体として伝統に臨む際に、地域的由来や形象によらずに、対象の潜在力を普遍的に捉えるということであった。伝統なるものを考える時、創造の契機と批判精神とは、白井にとって同義であり、当時の伝統認識が批判精神を欠いていることに抗議をしていたのである。[…]

白井晟一にとってごくごく基本的であるはずのこうした認識が、論争から60年近くを経た現在において学術論文として指摘され、その論文が学会で表彰されるというのは、(僕自身の不見識も反省しつつ)いったい日本の建築界はこれまでどれだけ白井晟一を誤解していたのだという気がしないでもない(ただし、この著者の指摘に先行して、同種の指摘がすでにいくつか存在することも論文中で明記されている)。しかし同時に、この今更ながらの指摘は決して遅すぎるという印象は与えない。つまり白井個人についての考察という意味を超えたところで、昨日()触れたような昨今の愛国主義的風潮(批判精神を欠いた伝統回帰)に対しての批判として働く、むしろ極めて時宜に適った指摘でもあるように思われる。