『建築のポートレート』()で香山先生が撮影した写真を扱い、そして自分でも文章(編集者あとがき)を書くことになって、以前から比較的馴染みがある写真論を読み返してみた(多木浩二、大辻清司、中平卓馬、富岡多惠子、増田彰久…)。馴染みがあるといっても、この中平卓馬の『見続ける涯に火が… 批評集成1965-1977』(八角聡仁・石塚雅人編、オシリス、2007年)は、発売当時に買って以来ようやく初めてすべての文を読み通した。しかし遅きに失したというよりは、僕にとって機が熟したという感じかもしれない。きわめて明晰で硬質、なおかつ色気がある文章が、いま生き生きと現れてくる。70年代までの中平さんには時代の論客としての印象が強いけれど、いまあらためて読んでみても、やはり創作における普遍的な問題に触れていると思える。
かつて坂本先生が、中平さんへの共感を示したことがあった(坂本一成「住宅における建築性」『新建築臨時増刊 昭和住宅史』1976年11月)。中平さんの文を読むと、言葉の用い方や物事の見方に多木さんと重なるものを感じたりもするけれど、より個人的な思想のレベルでは、中平=多木よりも、あるいは多木=坂本よりも、中平=坂本のほうが近いような気がする。
『見続ける涯に火が… 批評集成1965-1977』のブックデザインは、『建築家・坂本一成の世界』()と同じ服部一成さん。去年の青山ブックセンターでの刊行イベントでは坂本先生と服部さんの親近性を指摘したけれど()、中平さんと坂本先生が近く、坂本先生と服部さんが近いからといって、中平さんと服部さんが近いかというと、そういうところもあるかもしれないけど、僕の感覚ではすこしずれてくる。中平さんと坂本先生は、物の即物的な扱いにおいて近く、坂本先生と服部さんは、物の修辞的な扱いにおいて近い。それは写真/建築/デザインの領域の違いとも関わることかもしれない。
10年近く熟成させておいた本には色んなものが挟まれていた。本のチラシや展覧会のポストカードのほか、青山ブックセンターでのスライド&トークショーの整理券もあった。中平卓馬×八角聡仁×倉石信乃、2007年4月22日開催。たぶん聴きに行ったのだろうけど、そんなこともあったかもしれないというくらいで、ほとんど記憶がない。おそらく中平さんはあまり喋らなかったのではないかと思う。