昨日の日記、最後に「どちらかと言えば外から操作して組み立てられた印象になりがちな非日常系の作品に対し、日常系の作品は、内からその世界を立ち上げることこそ不可欠なのではないかと思う。」という一文を書いていたのだけど、違和感が消えなかったので外してしまった。エリック・ロメールウディ・アレンの映画を観れば、外から操作して組み立てられた印象を与えることも、(日常系の)作品世界を成り立たせる重要な手段になっている。そういうことを考えると、別に日常系と非日常系を分ける必然性はない気もするし、でもやはりどこか分けたくなるところがある気もする。