日本工業大学大学院「建築文化リテラシー」第1回と第2回。隔週で2コマずつ進行する。1コマ90分だと思っていたのだが、最近100分に延長されたというのを今日知った。授業と授業のあいだの休み時間は5分間らしい。しかしだらだらとしゃべりすぎ、1時間近くオーバーしてしまう。
以下、授業の全体計画と合わせて配布した「戒め」より。

大学もサッカーチームのようになり、優秀な学生はどんどん海外の、世界ランキングで上位の大学に出ていくのだそうである。こうした学生たちは、口を揃えて言う。日本の大学にはディスカッションで思考を深める機会がない、ただ座って教師の話を聞くだけではつまらないと。なるほど、そういうものかもしれない。しかし、これははっきりしているが、つまらないのは、教師の話を黙って聞くことではない、つまらない話を聞くことなのである。これ以上につまらないことは、めったにないから、当然ディスカッションによる授業はもっと面白いだろう。
けれども、考えてみるがいい。そういう議論から出てくるのは、めいめいが持っているありふれた知識や考え方の競い合いだけではないか。そういうもののほとんどは、どこかで気楽に手に入れ、また気軽に変更することのできるものだろう。それを、教室の仲間(こういう時は先生も仲間の一人になる)と達者に言い合う技術だか習慣だかを身につける。どうせろくなことにはなるまいと、私は思う。それで思考力がついたと言うのなら、そこにはとんでもない思い上がりがある。
ある人が、人生のなかでほんとうに考え、学んだことは、みな口には出し難いものだ。口ごもるものだ。私は、口ごもり、言い淀み、ついには黙ってしまう人の言葉をこそ信用する。仲間を言い負かすことに自信を持ち、己の小智を誇って省みない理屈屋ほど、滑稽な者はいない。