千駄ヶ谷国立能楽堂で、狂言薩摩守』、能『是我意』を観た。初めての能。前々から一度観てみたかったというのもあるのだけど、もうひとつ、大江宏の建築にも興味があった。1983年竣工のこの能楽堂が、大江の晩年の代表作であり集大成ということになっている。
外観の屋根の連なりが示すように、全体は複数のヴォリュームに分節されている。敷地の角にある門をくぐって前庭を右斜めの方向に進み、さらに建物内部に入ってからも、いくつかの性格が異なる場所をジグザグしながら同じ方向に抜けていくと、いちばん奥に能舞台がある。
開演中の舞台以外は内部もわりと自由に写真を撮ることができたけれど、実際にはなんとも撮影しがたい建築だった。それは下の引用文で言われているように、この建築ではなにか特定の空間や物、あるいはそれらを見る固定化した視点が問題にされているのではなく、そうした空間や物といった要素間の関係(によって生まれるもの)こそが問題にされているからでもあるのだろう。今回訪れただけで十分に建築を理解できたとは思わないけれど、確かにかなり癖のある個々の要素(構造材ではない木の丸柱や梁その他、和風の装飾、伝統的な日本建築では用いられない素材や形状、部材や空間のプロポーションなど)も、ゲテモノ的に際立って前面に出てくるということはなかった気がする。ただ、「お能がわからないようなひとにはわからない建築」(神代雄一郎)と言われてしまうと返す言葉がない。


──国立能楽堂の計画全体をとおして、建築的な意味で特別に意識されたのはどのようなところでしょうか。
大江 それぞれの部分が相互にかかわっている比例関係ね。それからあんまりストラクチャーがあからさまに見えてしまわないようにということですね。
 建築全体に通じるんだけれど、ひとつの空間のヴォリュームがあって構造的に成り立っている。そして相互にレシオ(比率)がある。それは建物全体のバランスから細部にいたるまで一貫している。しかし、それだけでは建築にはならない。骨格というものを、いろんなもので見え隠れに包んでゆかなければならない。いちばん苦労したのはそこですね。建築的な構成や要素があからさまに見えないということです。だから、ここを見て帰った人がとくにこれといった具体的なものではなく、感覚だけが身体のなかに残って、フィジカルな印象はいつも見え隠れで潜在化させておく。その原理をこの建築全体の基本原理に考えました。

  • 大江宏インタヴュー「混在併存から渾然一体へ」『新建築』1984年1月号(所収:大江宏『建築作法──混在併存の思想から』思潮社、1989、p.123)

大江 […]能楽堂では、素人のひとというか一般のひとは、本当に、「あそこ、いいですね」と言ってくれるんだね。
神代 でも特別に建築を見ようとしているようなひとにはね。
大江 とくに私よりやや若い世代で、かなり建築に熱心なひとにとっては、とにかくわかりにくいということが出てくるのね。建築の専門でない人は、「ああ、あそこいいですね」と言う。そういうときに、ぼくは文句なしに愉快な感じがするわけね。
神代 おっしゃるとおりですね。ですから、お能を観るほどの目があるひとにはあの建築はいいということになるのだろうとぼくは思うんですけどね。逆に、もうちょっと強く言っちゃうと、お能を観ないようなひとにはわからないと。お能がわからないようなひとにはわからない建築だとも言えるかもしれない。[…]けっきょく高度経済成長時代に、いわゆる物質主義ですね、物を見るということばかり強くなってしまって、建築物を見て、ここに何が使ってあって、何を張ってあって、どういう構造体でというような、物を基準にした良いとか悪いとかいう判断がひじょうに強くなった。だけど先生の場合は、ぼくは関係だと見ている。「間」というのは、ぼくは関係だと思うんですね。二つものがあったり、一つものがあって、一つは人であってもいいわけですが、その間の関係がどうやったらうまくいくかと。

  • 大江宏・神代雄一郎「気配の美学」『風声』18号、1984年8月(所収:大江宏『建築と気配』思潮社、1989、pp.220-221)