柴崎さんが芥川賞の『春の庭』(文藝春秋)に関連づけて、『窓の観察』を紹介してくださった。ネット上では、『窓の観察』掲載の短編「見えない」が『春の庭』の原型になっているという話もあったものの、柴崎さんご自身では、2作は「元になっている風景が同じというか、兄弟みたいな小説」とのこと。



実際に僕も『春の庭』を読んでみて、やはり「原型」というニュアンスではないだろうなという気がしていた。「見えない」と通底する部分も多くてうれしかったけど、「見えない」をそのまま展開させたというよりは、他にもこれまでの柴崎さんの作品のさまざまな要素が持ち込まれている感じがした。あらためてじっくり読んで、もうすこしちゃんと考えてみたい。

『春の庭』は、あるアパートを巡る、記憶と出会いの物語です。見慣れているような風景の中から、懐かしい人や、出会うことのなかった人に思いを馳せたり、遠い過去のことを考えたりする小説です。

空き家であるときは停止していた時間が、動いていた。家の中に誰もいなかった一週間前と、建物自体はまったく同じなのに、その場所の気配や色合いが一変していた。人がその中で生活しているというだけでなく、急に、家自体が生き返ったみたいだった。
───柴崎友香『春の庭』文藝春秋、2014、p.50

どんな古く醜い家でも、人が住むかぎりは不思議な鼓動を失わないものである。[…]家はただの構築物ではなく、生きられる空間であり、生きられる時間である。[…]家が住み手である私の経験に同化し、私がそれに合わせて変化し、この相互作用に家は息をつきはじめ、まるで存在の一部のようになりはじめるのである。
───多木浩二『生きられた家──経験と象徴』岩波現代文庫、2001、p.3