号外『日本の建築批評がどう語られてきたか』からの抜粋第2弾(→第1弾)。今日においても傾聴すべき言葉ではないかと思います。

鈴木博之さん(当時31歳)「同業者どうしが互いに誉めあったり貶しあったりしているのであれば、それは〈内情〉に通じた者だけが解る〈うがち〉にすぎなくなる。また、何々教授とか何とかいう肩書きを麗々しく付けて批評文を書くのは、往々にして身を〈やつし〉ての仮の姿による批評になりがちである。」(「建築家、作曲家そして批評家」都市住宅1977年5月号/鈴木博之『建築は兵士ではない』鹿島出版会、1980)
隈研吾さん(当時39歳)「建築界の中にいる人間は、「書くとどんな評価を得るか」ということで書く。まさに建築界での一種の「踏み絵」です。[…]私は基本的には、我々の世界の内にいる人が書いた建築批評は読むに値しないと思っています。」(押野見邦英・隈研吾・堀越英嗣「これからの建築批評──「遠慮の構図」を崩せるか」日経アーキテクチュア1994年2月28日号)

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