ギャラリーエークワッド「トーヴェ・ヤンソンの夏の家 −ムーミン物語とクルーヴ島の暮らし−」展(〜9/30)を観た。
建築系のギャラリー(入場無料)で、ヤンソンが生きた世界を紹介するというのは興味深いと思うけれど(『建築と日常』No.2では、ムーミン[所有/定住]とスナフキン[非所有/放浪]の対比から特集を始めた)、個人的にはもうすこし突っ込んだものが観たかった。2009年、大丸ミュージアムのムーミン展での原画や模型の数々が思い起こされる。来年は1914年生まれのヤンソンの生誕100年なので、日本でもまたなんらかの企画が行われるのを期待したい。
スナフキンはスニフのそばにこしをおろして、やさしくいいきかせました。
「そうだな。なんでも自分のものにして、もってかえろうとすると、むずかしいものなんだよ。ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、立ち去るときには、それを頭の中へしまっておくのさ。ぼくはそれで、かばんをもち歩くよりも、ずっとたのしいね」
───トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』下村隆一訳、講談社文庫、1978、p.51
「あんたは、どこに住んでるの」
と、そのとき、スノークのおじょうさんがききました。
「ぼくは、すごくきれいな谷で、パパとママとくらしてるのさ。ぼくらの家は、パパが自分でたてたんだよ。青い家でね。家を出発するちょっと前に、ぼくは、庭へぶらんこをつくったよ。きみのために……」
「あんなこと、いってらあ。いまはじめて、出会ったのに」
と、スニフがちゃかしました。
───トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』pp.103-104
「ママ、ちょっとこういうことを想像してみてよ。ママがとてもすばらしい場所をみつけて、それを自分のものにしたいと思ったのに、そこにはもとから大ぜいのものが住んでいて、ほかへはひっこしていこうとしないことがわかったとするの。そのくせ、そいつらには、その場所がどんなにすばらしいとこか、わかりもしないんだよ。そういうばあいでも、その連中には、そこに住む権利があるの?」
「もちろん、ありますとも」
と、ムーミンママはいいながら、海草の中にすわりこみました。
「もしそいつらが、どんながらくたの中にいても、おなじようにしあわせだとしたら、どう?」
と、ムーミントロールはさけびました。
「そんならだんだんにいってきかせるのね。そうして、おひっこしのときには、てつだってやればいいかもしれないわ。でも、おなじ場所に長いこと住んでいれば、ひっこさなければならないとなると、ずいぶんつらいことなのよ」
と、ムーミンママはいいました。
───トーベ・ヤンソン『ムーミンパパ海へいく』小野寺百合子訳、1980、p.93
- 『建築と日常』No.2 http://kentikutonitijou.web.fc2.com/no02.html