木田元さんの自伝に海軍兵学校のことが書いてあった。多木さんの振り返り方とすこしニュアンスが異なるのは、お二人の性格の違いにもよるかもしれない(7月5日)。

その前年の五月に江田島海軍兵学校を受験しました。といっても軍国少年だったというわけではありません。むしろ、昭和十九年の春に、海軍兵学校を受験するというのは、一種の逃避だと思われるくらいでした。そのくらい戦況は逼迫していたのです。
本当に愛国心があれば、まず中学の二年生か三年生で、海軍なら予科練、陸軍だと少年航空兵、正式には特別幹部候補生といいましたが、とにかく、この二つはその年齢から志願できたのです。十四歳か十五歳です。神風特別攻撃隊の要員になったのは、だいたいそこの出身者でした。実際には、われわれのころにはもう飛行機がなくて、空を飛べなかったでしょうが、でも、とにかくまずそれを志願すべきだというのが当時の風潮でした。
───木田元『闇屋になりそこねた哲学者』ちくま文庫、pp.23-24

岡さんは高山建築学校で木田さんに習ったそうで、昨日は「木田元、英語読みだと“元気だ”(Gen Kida)」と楽しげに言っていた。