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ひさびさに蟻鱒鳶ルを訪ねた。岡さんおよび今日岡さんに引き合わせた方と、お酒を飲みながら『風立ちぬ』や『あまちゃん』の話など。『風立ちぬ』は観ていないけど(ちょっと観に行こうかなとも思っている)、『あまちゃん』は数週間前、深夜のダイジェスト版(朝まで“あま”テレビ)をちらっと観たのをきっかけに観るようになった。信頼する友人がずいぶん高く評価しているようで、もともと気にはなっていた。





観てみると、確かに主演女優ははまり役で魅力があると思うし、毎日の15分の放送のなかで飽きさせない展開がある。現実の芸能界事情と物語を重ねることで視聴者を引き込む手つきも巧みだなと思う。ただ、そうであるがゆえに、ここ数日の東日本大震災の描き方にはがっかりさせられた。せっかくこの数ヶ月(観ていないけど)、NHKの朝ドラという国民的なメディアの枠で人気を得て、視聴者がドラマの中の世界に愛着をもち、登場人物たちの日常が視聴者の日常と重なるようなことになったのだから、ここで震災を描くことにはとても大きな可能性があったはずだ(例えば「ジブリ映画」という枠でやるよりももっと)。それは単に原発事故に触れるか触れないかというレベルの話ではないし、映像表現や社会問題に意識が高い人たちだけが理解してあれこれ語るようなことでもなく、むしろそういった知的な階層構造から作品を解放し、もっと社会そのものに響いてくる、物語の神話的な存在の仕方に近づくような、すごいことができたのではないだろうか。まだドラマの中で地震が起きてから数回しか放送されていないけれど、もうこの先、そういったすごいことは期待できそうにない。非常にもったいないと思う。