吉祥寺で中山英之さんの新作住宅の見学会と、八王子で坂本一成先生の《散田の家》(1969)と《散田の共同住宅》(1980)の見学会。その後、蟻鱒鳶ルの写真が展示されている(〜6月30日)新宿のベルクで岡啓輔さんとビールを飲みながら話をした(ビール券でおごってもらった)。

中山さんのほうは、『窓の観察』()の共著者であるqpさんと一緒に行った。敷地はqpさんの自転車活動範囲内で、『窓の観察』に掲載した写真のなかにも、すぐ近くで撮られた写真があるらしい。竣工した住宅は、去年の蟻鱒鳶ルでのイベントでも説明があったものだけど(イベント動画では割愛)、今日見ただけではあまり自信をもって判断できないので、雑誌で発表されたときにでもあらためて考えてみることにする。写真も、発表前とのことで公開不可。qpさんの写真も撮ったけど、それも本人に公開不可と言われた。
八王子の《散田の家》はすでに写真や図面、坂本先生のテキストでよく知る建築だけど、今回は主屋の改修が終わったタイミングでの見学会だった。空間的に大きな変更点としては、内部が白く塗られたことと、2階の吹き抜け部分に入れ子状の個室が付け加えられたこと。どちらも空間の体験に大きな影響があると思う。


改修前のアイソメと平面図(→内観写真)。正方形平面の中央に独立柱。今回の改修で、2階西側の納戸が内側に倍の面積に拡張されて居室になった。

僕は初めて訪れてみて、これまで想像していたような中心性・求心性は意外にも感じられず、むしろ複数の場所の親密な関係に、次作である《水無瀬の町家》(1970)との連続性を感じた。今回の2階の個室の増築が中央の柱の求心性を弱めているのは確かだとしても、後年コンセプトとして提示される「関係としての空間」という質は、やはり坂本先生に最初からあったのだろう。第1作と第2作で連続性があるのは当然とも言えるけど、坂本先生自身で《散田の家》と《水無瀬の町家》以降とを対比的に捉えることが多いので、

この住宅[散田の家]は、形式と現実・日常が対立関係の緊張を必ずしも持たないまま併存し、成立している作品と言えます。その後の仕事では、この独立した形式をいかに相対化するかが問題になるわけですが、この住宅はその拮抗関係のないコンセプトが現れている例になります。
 「散田の家」の〈閉じた箱〉というコンセプトは、ひとつには都市社会に現れた環境汚染に対立して、ひとつの閉じた大きな箱を生活空間として提供しようという考え方に基づいていました。この住宅では正方形平面の直方体に近い完結した全体像があり、その大きな箱のなかに小さな箱を含める入れ子構造によって全体がつくられています。閉じた全体ヴォリューム、入れ子構造といったヒエラルキカルな構成が、私の最初のコンセプトによってこの建物に与えられた構成形式でした。具体的には四隅の柱と真ん中の柱が斜めに架けられた梁で結ばれ屋根を支えるという構造で、全体的に明快な合理的な構成だと思います。また建物の建ち方も、周囲の環境と関係なく独立したひとつの直方体として建ち上がっています。
 このように「散田の家」は幾何学性や合理性の強い、そして孤立的独立性の高いものであり、明快な形式が周囲の環境などの現実に対して積極的な関係を持たない建築でした。つまり明確な内外の対比やラショナルな普通のスケール、プロポーションといった点において既存の制度との対立が少なく、形式と現実との葛藤による緊張関係が弱い作品となっています。
───坂本一成「自由で解放的な、そしてニュートラルな建築の空間」『建築に内在する言葉』TOTO出版、2011

そうした言説を過度に真に受けていたところがあったかもしれない。上の引用文なども誇張が大きいというか、あくまで坂本先生の作品歴において他の作品との対比を鮮明にするような、相対的な位置づけという気がする。実際、この文章が書かれたのと同時期のインタヴューでは次のように言われていて、

[篠原研究室]在籍中に設計したのは散田の家で、私の最初の作品です。最も篠原一男の影響が強いものと思います。これは篠原的なものを実現したいと同時に、違いを出したかった。つまり内側の各部を完全に分節して世界を切り分けていくのではなく、大きなフレームをつくって、その中である種の関係をつくりながら、全体を有機的にする。もちろん当時はそんな言葉を持っていたわけではありませんが、篠原一男の建築には、有機性みたいなものはあまり感じなかった…ということじゃないかと思います。
───坂本一成インタヴュー「当たり前のようで当たり前でないものを…」聞き手=古谷誠章INAX REPORT』No.186、2011

こちらの有機的というほうが、文脈から離れて素直にあの住宅を見たときの印象に近いように思う。最初の引用文では「入れ子構造」が「ヒエラルキカルな構成」だったと書かれているけれど、むしろ入れ子構造は、複数の(独立的な)場所の関係をもたらし、中心性が強い平面・断面を相対化する(批判する?)ものだと捉えられそうな気がする。今日見た限りでは、ある種の古民家とも近しいような、フランクな楽しさを感じさせる住宅だった。そしてこの親しみやすさが、後の作品では徐々にドライに、開放的になっていくということは言えるとしても、「《代田の町家》の危機」()でも書いたような「複数の場所の関係」こそが、坂本先生の建築において一貫する質だという思いを強くした。閉鎖→開放や、包含関係→隣接関係といった形式的変化も重要には違いないけれど、それらが重要であることの前提として「複数の場所の関係」がある。
ちなみに現在は主屋の裏にある別棟が改修中で、それが終わり次第、両方合わせてなんらかのメディアで発表されるはずだと思う。