イタロ・カルヴィーノ『遠ざかる家』(和田忠彦訳、松籟社、1985)を読んだ。南洋堂で買った小説で、原題の直訳は「建築投機」(1957)。1950年代半ばのリヴィエラを舞台に、ある田舎町が別荘地として開発され、主人公一家がそれに翻弄されていく様子が、政治思想や社会階層などの要素も絡めながら風刺的に描かれている。

クイントの生まれた***は、かつてはユーカリ木蓮が蔭をなす庭に囲まれ、イギリス人の退役大佐や老嬢たちがタウシュニッツ社の本と散水器とを庭の生垣越しに貸し合ったりする光景が見られたものだが、今は落葉で柔くなった地面やざらざらとした砂利の小道を掘削機が次々に掘り返し、小さな二階建の別荘をクレーンが解体していた。斧はバサバサと椰子の扇のような葉を空からなぎ倒していた。その跡には「日当良好・三室・ガス水道完備」が姿を現わすことになるはずだった。(p.4)

訳者あとがきに「『遠ざかる家』は現実をたじろがせるようなまっかな嘘にはなりえていない」とあるけれど、たしかに僕が今まで読んだことがあるカルヴィーノの小説のようにはイメージが広がっていく感じがない。