不良文化みたいなものに馴染めない。それを持ち上げる(認める)ことで、ないがしろにされるものがあるように思えてならない。たとえば映画でいうと、エドワード・ヤンオリヴィエ・アサイヤスは好きな監督だけど、それでも作品にときおり見られる「不良」への憧憬みたいなものには共感しづらい。一方、初期の阪本順治豊田利晃の「不良」はどういうわけか抵抗感がない。それらのどこが異なるのかはともかくとして、空族の「不良」は後者に位置づけられる。