忌野清志郎は他人の歌をカバーするのがうまかったけど、反対に清志郎の歌を他人がカバーするのは難しそうに見える。「雨上がりの夜空に」なんてよく歌われている割りにたいてい勢い任せという感じがしてしまう。同じように佐藤伸治の歌も、それぞれの歌によってではあれ、カバーするのが難しいのかもしれない。それなりに体裁が整ったパフォーマンスでも、たいてい「そういう歌をそういうふうに歌っている」というような印象を受けてしまう。僕が知っているなかでは、きちんと自分のものとして成立しているのは、YouTubeにアップされているHONZIの「ひこうき」くらいではないかという気がする。
http://www.youtube.com/watch?v=32krs7zPiVs
たとえば「WALKING IN THE RHYTHM」や「ナイトクルージング」でも、それほど複雑な内容の歌詞ではないにせよ、というかそれゆえになのか、他の人が歌うと、その言葉が発声において身体化されていないように感じられる(歌い手自身の身体性は表れても)。それはやはり歌詞が持つ意味の大きさということだと思うけど、もっと根本的には、歌詞をひとつの重要な要素とした、その曲の世界の有機的な統一という問題だろう(だからたぶん聴き手がその歌詞の言語を理解できない場合であっても歌詞の重要性はそれほど変わらない)。
佐藤伸治や忌野清志郎の歌はその有機的統一が強いということだろうし、もしかしたら僕がたまたまそれぞれの世界性を感じやすいということもあるかもしれないし、平たく言って、彼らの歌をたくさん聴き過ぎて、他の人が歌うのを受け入れられないということもあるかもしれない。ともかくそれは下記のように言われているあたりのことが関係していると思う。以下すべて『フィッシュマンズ全書』(小野島大編、小学館、2006)から佐藤伸治の発言。カッコ内は初出媒体の刊行年と本書での掲載ページ。

●詞が先の方がいいですね。曲が先にあるとしばられちゃうような気がするから。
──そうすると、詞の方が比重が大きい?
それは曲なんですよ。でも、詞の方だと思われがちかもなあ(1991、p.44)
●最近思うんだけど、歌詞とかね、もっと普通の一般市民で書いたほうがいいなっていう。ロックな歌詞ってあるでしょ。それを一般の人が見たとき、いいのかおまえそんなことやってて、っていうやつね。音楽業界にどっぷりつかってるとそれにあわせようとしたりして、なんか恥ずかしいなというか(1992、p.46)
●すごく分かりにくいような事を裏でやってたりするんですけど、分かりにくいから分かりやすくしようぜっていうんじゃなくて、その分かりにくい部分もはっきりと出していきたいんですよ(1994、p.81)
●──でも、言葉で説明すればするほど、リアリティがなくなるということもありますよね。
詞だけが完成しちゃうのもよくないと思う。音も総動員しての結果を聴いてもらわないと(1994、p.81)
●詞があれば曲は自然に浮かんでくる。……というとカッコ良すぎだから……曲も浮かびやすい……浮かんでくることが多い……?(1996、p.160)
●フツーの歌をうたいたいんだよね。今、誰もがわりと歌を作るっていうと、(日常生活での)いいとこや悪いところをクローズアップしてそれだけうたってるじゃない?(1996、p.172)
●人間としてはハッキリしないんだけど、ハッキリしないということを表現するということはハッキリしてるから(1996、p.188)
●でも、やってる側としては、わりと音響派って……あんまり好きじゃないんですよ。実は、もうちょい人間派っていうか。(中略)そうそう。お遊びっぽい感じ。あとから意味をつけた感じに聞こえちゃうんですよ。(中略)音のオリジナリティというよりは、たとえばオレたちが作った音楽を聞いた人が受ける感情というか、“感情のオリジナリティ”みたいなのは、まだあるかなって気がしてるんですよね。「音響が好きだから音響をだす」のと「こういう感情を表現したいからこういう音響を出す」っていうのでは、受ける側は全然違うんじゃないですか(1996、p.202)
●一体感出ないんだよね。メロディ先書いて詞つけちゃうと(1996、p.210)
●音楽を〈曲〉として考えないっていうか。〈音〉っていう感じにしたかったんですね(1997、p.230)
●うん、でも俺、内なる世界っていう感じなんだけど、それが内の世界で歌ってなくて、もっと景色で歌いたいんだよね(1997、p.232)
●俺はいつも歌詞から先に書くんですけど、詞を書いたとき、詞の周りにはいろんな景色があるわけじゃないですか。書いてないけど。それが音楽になるんじゃないですかね(1997、p.243)
●──じゃあ長くやってる間に、自分の音楽観とかが根本的に変化したり揺るがされた時ってあった?
音的な興味っていうのはいっぱいあるけど、音楽観っていうのは無いなあ。だから俺が音楽観って考える時はその人観っていうか、ねえ?人柄っていうか。やっぱりそういうので音楽考えてるから、あんま変わんないっていうか。変えようもないっていうかね(1997、pp.249-250)
●曲を作るのってさ、要は俺にとってはパッケージすることなのね、いろんなことを。で、今たとえば10分のことを曲にしてるんだとしたら、それをこうもうちょいビッグな感じにできたら、1年のことを1曲にしたような音楽みたいなのがあったらいいなぁって。それが音楽になった時に壮大な曲になるかはわかんないけどね。印象として。自分の考えてることとかやってきたこととか、そういうのがもっと…長くなるといいなっていうか。長かったり、高い…たとえばタテヨコ伸びると、違った領域に行けるのかなっていう(1998、p.266)