一つの仕事に一生を捧げる人間もゐる。さういふ場合には、生きてゐることと一生の仕事は実際に見分けが付かない訳で、何か一つのことと取り組んで明け暮れした後に、漸く仕事を終つてにつこり笑つて死ぬといふ種類の生涯を、我々は別に感傷的にではなしに美しいものに思ふ。その人間にとつて自分が生きてゐることは明かに仕事を続ける為であり、恐らく途中で死んでも後悔しないのみならず、自分が死ぬといふことは、仕事をするものが一人減ることしか意味しないに違ひない。

  • 吉田健一「生きて行くことと仕事」『熊本日日新聞』1957年4月21日付夕刊(『わが人生処方』中公文庫)

印象深い一節だと思って昨夜寝る前にツイートしたのだけど、もしかすると今の世の中では、こういう言葉は非難対象になってしまうのだろうか(仕事に一生を捧げるのが美しい? そうやって仕事に専念できるのは誰の犠牲のおかげか!)という想念が頭をよぎり、寝床で落ち着かない気分になった。