知識があればあるほど良い作品が作れるのなら、一人の作家は歳を取れば取るほど良い作品が作れることになる。しかし傑出した作品は往々にして、自分が全体のなかでどこにいるか見通せていない若い時にこそ生まれもする。
もちろん知識を持つことは重要としても、「あればあるほどよい」という態度は知識を物質的に捉えすぎていると思う。自らが主体的に所有しているつもりでいて、実は知識のほうに支配されているということも起こりかねない。「あればあるほどよい」もしくは「あるに越したことはない」と知識を定量的に認識することは、ネット上でよく見られる「マウントの取り合い」みたいなことのメンタリティともどこかで通じている気がする。

色の名など覚えるべきではなかった。画家ならば幾たびもこう思ったことがあるはずだ。見えるのは、みどり、みどり、みどり、みどり、すべてはみどり、と言葉にするほかないが、ひとつも同じみどりはない。

  • 岡﨑乾二郎「この木が君にはどう見える?」『絵画の素』岩波書店、2022年