良いものをけなすよりも良くないものを褒めるほうが罪が重い気がするのはどういうわけだろうか。世間一般では、何かをけなすことは悪徳であり、褒めることは美徳であるとされているにもかかわらず。
良いものをけなす言葉よりも良くないものを褒める言葉のほうが社会で影響力を持ちやすいからだろうか。良いものは多少けなされたところでその価値は動かないけれど、良くないものが褒められることで、その価値基準自体がなし崩しにされてしまうというような。
あるいは良いものをけなすよりも良くないものを褒めるほうが、打算的・利己的な背景を感じさせるからだろうか。つまりけなすよりも褒めるほうがリスクが少なく、安易に実行でき、それによって得られる世俗的なメリットも大きいというような(「良くないものを褒める」は現代のSNSにおいて、特にその同じSNS上に作者や関係者がいるときに起こりやすい)。そこでは表面上それを褒めているようでいて、むしろその存在そのものはないがしろにしている。良くないものを良くないと言ってけなすほうが、その存在をまだしも認めている。

ある対象を批判するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。

  • 小林秀雄「批評」『読売新聞』1964年1月3日(『考えるヒント』文春文庫、1974年)