東日本大震災は日本の社会において非常に大きな出来事だった。けれどもその意味の大きさには当然ながら地域や属性や個々人による偏差があるだろう。たとえば東北の人と比べて沖縄の人にとって震災の意味は相対的に小さいはずだし、沖縄は沖縄で、他の地域の人には実感しづらい別の大きな社会的問題を抱えているに違いない。またたとえ東北の人でも、ニュースにもならないたったひとつの交通事故のほうが、その人の人生にとっては東日本大震災よりも大きな意味を持つということは十分起こりえる。考えてみれば当たり前の事実だろう。これは別に東日本大震災の出来事としての大きさを否定するものではない。
震災以降、それをテーマにする芸術作品が数多く作られている(と思う)。「広さ」と「深さ」という空間的・定量的な概念をあえて用いるなら、それらの作品は、震災というテーマによって、社会的な広がりはいくらか保証されていると言えるかもしれない。しかし、人間ひとりひとりに現象する経験の深さは(他のあらゆる芸術作品と同様に)保証されていない。そしてたとえば「広さ100」×「深さ1」の作品(=100)が「広さ1」×「深さ10」の作品(=10)より価値が大きいと言い切ることもできない。
震災関連のアートを扱ったテレビ番組を観ていてなんとなく思ったこと。