数日前に『住宅建築』の編集者から連絡があり、今月出版された写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』(飯沼珠実編、建築の建築)の書評を依頼された。この本については何も語らないつもりだったので、依頼を受けるか否かしばらく迷ったのだけど、けっきょく書いてみることにした。2年前に同じ『住宅建築』で谷口吉郎の『雪あかり日記/せせらぎ日記』(中公文庫、2015年)の書評(→)を書いたのは僕にとってよい経験になったし(そのときは対象の書籍は任意だった)、ふたたび僕を指名してくれたことの意味も無視できない。僕が書いておかなければならないことも何かしらあるのだろうと思う。
執筆に際してはまず多木さん自身の以下のような言葉にどう向き合うかが問題になる。
【多木語録】60年代からこのころまで、自分でも写真を撮っていたのは、若気のいたりとしか言いようがない。私は写真家に必要な性格、機敏さも大胆さも、繊細な瞬間的感受性も持ち合わせていなかった。(目録P59/L21)
— 別冊『多木浩二と建築』 (@takikoji_arch) May 10, 2013
似たような発言は他にも散見されるけど、こうした多木さんの言葉を無視してその写真をもっともらしく権威づけてしまうわけにはいかない。