LIXILがINAXから引き継いでいた文化活動の一部を終了させることに対し、SNSでは「文化」の大切さを訴えるようなコメントが少なからず発信されている。これに限らず、コロナ以降、「文化」という言葉をよく目にするようになった。しかしどうもその言葉の使われ方に違和感がある。文化は別にそれがあれば絶対によいというものではなく、むしろないほうがよい場合だってあるはずだけど、一般に無条件でよいものだとされる傾向が強い。そして芸術や学問などごく限られた分野を指す言葉として使われがちだけど、本来は特定の分野に限定される概念ではなく、たとえば政治でも経済でも、個々の枠組みを超えて通底しうるものだろう。逆に芸術や学問の中においても、たとえば「常識を打ち破るまったく新しい思考!」などと形容されるようなものは、時として文化を壊すものだと言い換えられるかもしれない。
結局のところ、作品であれ人であれ活動であれ、良いものとそうでないものとが文化という抽象概念によって括られ、社会制度上、一緒くたに「大切」とされることに違和感があり、その節操のなさに苛立つのだろうか。少なくともそこで語られているのは政治であって文化ではない(政治は政治で大切だとしても)。「良いものとそうでないもの」という線引きには主観的・独善的な響きがあるけれど、そうした価値観を単なる主観や独善にとどめず、人々に共有可能にさせ、またそれによって人々をつなぐものこそ文化であると思う。