エドワード・W・サイード『晩年のスタイル』(大橋洋一訳、岩波書店、2007年)と『建築家の年輪』(真壁智治編、左右社、2018年)を読んだ。サイードのほうはかなりひどい斜め読み。そもそも言及されている固有名をよく知らず、ヴィスコンティグレン・グールドについてなんとか想像できる程度。年齢による作家性の変遷みたいなことに興味があったのだけど、どちらかというと本書は僕が興味を持っているのと反対の現象が対象にされていた。以下のとおり。

 晩年について、とりわけ芸術家の晩年について、わたしたちが思い描くのは、若い頃の挑発的で喧嘩腰のとんがった前衛志向なり破壊志向が一段落したあとの──おそらく成熟期を経ていよいよ到達するところの──和解と赦しの境地であり、円熟した晴朗な精神の発露というところだろうか。そのような晩年はあるだろうし、望まれもしているかもしれないが、著者が突きつけるのは、それとはまったく異なる晩年の姿である。狷介固陋、反時代性、反骨精神、失われることのない抵抗、精神の晴朗さとは程遠い茫漠たる疑念と不安、死の直前まで渦巻く憤怒、知のペシミズムに寄り添う意志のペシミズム──ここにあるのは、誰もができれば避けて通りたい晩年の姿かもしれない。すくなくとも本書を読む前の読者にとっては。だが逆に本書の読者なら、いぶかることになろう──こうした晩年のほうが、円熟した晩年より、はるかにすばらしいのではないか、と。

  • 大橋洋一「訳者あとがき」『晩年のスタイル』pp.276-277

『建築家の年輪』のほうも創作者における「老い」がテーマにされている。1924年生まれから1940年生まれまでの建築家ほか合計20名へのインタヴュー集で、初出は『日経アーキテクチュア』のウェブ版(2013〜2014年)。500ページあまりの厚い本で、内容は必ずしもテーマに収束せず、かなり雑然としているのだけど、それがこの本の魅力にもなっている。それぞれのフランクな語りも、そもそもの20人の多様さも、聞き手である真壁さんの懐の深さによるのだろう。僕自身はたとえもうすこし歳を重ねても、こういう仕事はできそうにない。