スタンリー・キューブリックスパルタカス』(1960)をDVDで観た。例の講義の西洋建築史古代編で紹介しようと思って、15年くらいぶりに観てみた。198分。長い。大作とはいえCGのない時代の映画だから、古代ローマの建築がそれほど再現されているわけではなく、コロセウムも出てこなかったし、講義の場でわざわざ紹介することはないかもしれない。
西洋建築史古代編では他にD・W・グリフィスイントレランス』(1916)とマノエル・ド・オリヴェイラ永遠の語らい』(2003)を取り上げようと思っていたのだけど、このまえ観た『イントレランス』(4月12日)と比べて『スパルタカス』は、「現代の西洋人がローマ時代の衣装を着けて行なったコスチュームプレイ」という印象が強い。物語が完全に現代に従属していて、現代人の思考や認識に基づいて人々が動いていると思わせる。それは実際には『イントレランス』でも同じなのかもしれないけど、ふたつの作品の違いは、単にそれぞれの作品の違いというだけでなく、サイレントとトーキーの違いでもあるだろうか。トーキーという形式ではよりリアリスティックに映画を作らなければならなくなったため、無意識的にであれ、「現代のリアル」に裏打ちされることになった。そしてより虚構じみているはずのサイレントの演技や単純化された物語のほうが、かえって真に迫って見える。あるジャンルにおける黎明期の作品ならではの表現の直截さ、迫真性ということも言えるかもしれないけど。