午前中、渋谷で多木浩二さん関連の勉強会のようなことをしたあと、帰りに松濤美術館に寄って「古道具、その行き先──坂田和實の40年」展を観た(〜11/25)。下のフロアは「古道具」というタイトルが大いに誤解を招きそうな(僕がそうだった)、世界史的・文化人類学的な展示物の数々。展示の仕方も、物とダイレクトに向き合える距離感がよい。その物があった場所、あった時間が広がる。まさに「物の詩学」であり、実際多木さんが分析したような家型の破風がついた戸棚などもあった。
一方、それらの各時代・各地域の物がバラバラに置かれてできるコラージュ的な展示空間も面白い。こうして収集され並べられた物を見て楽しむまなざしは、ひとつの時代・地域の意味の体系から解放されて純粋に物そのものを見ている、というよりも、大げさに言えば植民地主義的なフィルターを透して見ていると自覚しておく必要はあるだろうけれど、それでもそれぞれの物がそれぞれにまとう文化が混じり合って生成する空間は濃密かつ開放的で、そのような風通しのよい場であるからこそ個々の物にも向き合いやすいのかもしれない。
ただその意味で言うと、上のフロアの展示は近い時代の日本の物が多く、表面的な古色が価値として重視されたり、特定の文化を共有した者に対してノスタルジーを喚起させたりするような側面が強かったと思う。また、ところどころ現代の物(「ダンボール再生梱包材」やカンペールの靴、スウォッチの腕時計など)が何気なく混じって置かれていたのは、古今東西の物たちを分け隔てなく等価に見てセレクトした結果というより、むしろそこに主体的な「遊び心」が見え隠れして、趣味人や数寄者といったような、ある閉じたサークル内の価値観が前面に出ている印象を受けた。