山田脩二〈日本村/今〉(『SD』1972年3月号)の冒頭。雑誌本編と無関係に、ページ下部に断続的に38点の写真が差し込まれていく。〈日本村〉は、後に写真集『山田脩二 日本村1969-1979』(写真構成=磯崎新篠山紀信、文=磯崎新多木浩二、対談=大辻清司・高梨豊三省堂、1979)に結実する山田さんの代表作。

誌面に出た写真も、建築業界から厳しく批判されるようになってきて、どうせ批判されるなら最後に好きなことをやろうという感覚でした。『SD』編集部の平昌司さんと深夜までかかってレイアウトして印刷所に入稿して、ああいう形になりました。38枚写真を使っています。途中で紙の色や質が変わるのですが、そんなことおかまいなしに写真を連続的に入れていきました。刷り上がって本になったら案の定「なんだ、この訳の分からん写真のセレクトとレイアウトは」と、あちこちで大目玉でした。
───山田脩二インタヴュー「〈日本村〉の作家の辿った道」聞き手=飯沢耕太郎、『日本の写真家39 山田脩二』岩波書店、1998

杉浦康平  写真の住みつき方の問題としてみておもしろい。どういうふうにメディアを占拠するかという問題から考えると、まだちょっとおとなしいが、こういうふうに続いているようで続いていないような、異物であって異物でないような、共存物といっていいような映像の住みつき方は確かにひとつの可能性だと思う。山田君の写真がほかの記事の写真と微妙に対立したり、うまく溶けあうというか、ひとつの触発が生れて、日本村がますます鮮烈になったりぶっこわされたり。だいたい現実というのはそういうせめぎ合いの場みたいなものですが、それがひとつのメディアの中で起ったのは、試みとして評価されていいでしょう。
高梨豊  写真そのものとしては、いわゆるコンポラとは違って、何かもっと質の硬いひかれるものがある。
───座談=杉浦康平高梨豊・中村立行・渡辺勉「話題の写真をめぐって」『アサヒカメラ』1972年5月号(抄録:山田脩二『カメラマンからカワラマンへ』筑摩書房、1996)

おそらくこの『SD』のレイアウトが成り立ったのは、山田さんの写真のあり方によるところが大きいと思う。きちんとした自律的な作品としての質を確保していながら、他の存在に対しても開いていて、それと併置されることで新たにダイナミックな関係を生成していく。このあたりの意味で、僕が山田さんの写真に惹かれることと、『建築と日常』の誌面でインタヴューの本文などにやや度を超えた註を組み込んでいくことは、どこか繋がっているような気がする。
ただし、この『SD』のレイアウトをそのまま『建築と日常』で真似するのは難しいと思う。A4判の『SD』に対して一回り小さいA5判の『建築と日常』では、もしページの下半分を別の写真が占拠してしまったら、上の本編は(容量が限度を超えて小さくなり)破綻してしまうかもしれない。また月刊誌で、内容的にも(『新建築』ほどではないにせよ)それなりに強い形式性をもっていた『SD』に対し、『建築と日常』はそれが欠けているので、イレギュラーに形式を逸脱していく行為(型破り)の面白さも際立ちにくい。こういった問題は、坂本先生の言葉を借りれば「形式と現実との緊張関係」の問題ということになるだろう。
【予約受付中】山田脩二×大日方欣一「建築写真の内と外」2013年7月26日(金)20:00-|下北沢B&B http://kentikutonitijou.web.fc2.com/taki/20130726event.html