以上、批判的な部分ばかりをずいぶん長く書いてしまったけれど、言ってみれば、それは僕がこの本に個人的に触発されるところがあったからでもある。つまりこの4つの結論を最初に目にしたとき、僕にはそれがまるで坂本先生に対する批評のように見えたのだった。だからこの本について考えることは僕の以前からの問題意識と連続していたし、書いたことは、多少なりとも松村正恒坂本一成との違い(あるいは篠原一男や清家清との違いも)のなかで浮かんできたことでもあるかもしれない*1。そしてまた個人的に考えさせられたのは、自分が共感する対象を記述するという行為のあり方についてだった。対象への共感がない論はつまらないけれど、その共感をどう手なずけるか。かなり形態は違うとはいえ、それは『建築と日常』の問題でもある。
ともかく、松村が個性的で重要な建築家であることには違いないし、この本はその彼の全体像を初めて世に示したものとして十分に意義深い。松村は当時においてもそれほど建築メディアで取り上げられていたわけではなく、本書に掲載された建築写真などのクレジットを見ると、松村家所蔵のものも多い。手紙なども含めて、本人が資料をとっておく人だったようなのだが、今回の出版は、そうした松村の意志ならぬ意志もしっかりと引き受けている感じがする。作品の体系的な整理・分析と、豊富な図面や写真などの用い方には、この本によって松村という人の場所を歴史のなかに確保しようとする使命感がうかがえる。

*1:そうしたこともあって、この文は書評としては偏っているし、本を読んでいない人には理解できないような書き方をしてしまっているところもいくつかあると思う。