月曜にホームページに掲載した川俣修壽さんの「私的回顧・多木さんの事」で書かれていることを多木さんの視点から語った一節が新刊の『映像の歴史哲学』にある。

生活はかなり苦しかったです。六五年に大学に就職しましたが、就職してまもなく学生紛争がはじまりました。学生紛争というのは教師にとっては苦痛な体験でした。特に学生に同情的な立場をもたざるをえない人間にとってはものすごく苦痛なものでしたし、同僚の教員がとても醜く見えるわけです。そういう状況に思うところがあったものですから、ずいぶん乱暴な話ですが、先の見通しも何もなしに一九七〇年でその大学を辞めてしまいます。
───多木浩二『映像の歴史哲学』今福龍太編、みすず書房、pp.32-33

1966年に大学に入学したという川俣さんは、1967年に多木さんが赴任してきたと書いているので、多木さんの回想とはズレがあるのだけど。