雑誌を届けに、qpさんと大橋修さんを訪ねた。引っ越してまもない白金台の事務所。qpさんと共に、フリーランスとしての処世術(大橋さん自身も「僕にはできないけど」という前提の)など伺った。qpさんには愛知県美術館ギャラリーの「イコノフォビア─図像の魅惑と恐怖─」展に出品して戻ってきたばかりの新作を見せてもらった。
今回『建築と日常』でqpさんに絵と写真を借りたのは、さかのぼると去年の夏に書いたブログの記事がきっかけになっているのかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/richeamateur/20100827
そのとき書いた、作品のジャンルをまたいで共通する質があるという認識は変わらないけど、今日の作品も観てみて、絵画と写真とでは作品の統一性や秩序感みたいな部分が異なるのかなと思った。今回掲載した写真(とその構成)は、ある程度僕の意見を聞き入れてもらいつつqpさんが決めたものだけど、基本的に中心になんらかの対象物があり、見開きにして真ん中に切れ目が入ると写真が成り立たなくなってしまう。また、余白をとらずに裁ち落としにしてしまっても、だいぶ雰囲気が変わると思う。「決定的瞬間」という感じのダイナミズムではないけれど、撮影している主体と撮影対象との関係がはっきりあって、写真の世界は作品として完結している感じがする。一方で絵画は、表紙の作品もそうだけれど、自分でも意図していないような線や滲みが積極的に画面に持ち込まれ、qpさん自身、そういう偶然的な要素をその後もあえて統合しないように描き進めると言っていた(どこで完成にしたらいいのか迷うというようなことも言っていた)。二艘木洋行さんとの城戸熊太郎名義での合作も、そうした他者との併存のような意図が見いだせると思う。
ツイッターで見て、いいなと思った絵も、
http://twitpic.com/7qcg6t
いつのまにか合体していた。
http://d.hatena.ne.jp/com/20111209