昨日は『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』の出版の報告として、本のデザインをしていただいた服部一成さんを訪ねた。旗をモチーフにした出版長島のシンボルマークは「『精選建築文集1』で谷口吉郎の「旗の意匠」という文章を収録していることに由来するのかもしれません」(10月17日)といい加減なことを書いたけど、ご本人に確認したところ、そんな事実はなかった。確かに本当に「旗の意匠」を参照していたとしたら、旗の竿の部分がないのはおかしいなと思っていた。このシンボルマークは、本の背表紙に置かれたときの見え方を念頭にデザインされているのだという(書影を撮影してみたけど、背の部分がボケてしまった)。


しかしよく考えてみると、この表紙の書名は間違っている。『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』という正式な表記からナカグロ(・)が2つ抜けている。ただ編者としては、三者を上下関係や時系列の順番で位置づけるのではなく、それぞれの異なる個性を三つ巴のように捉えたいという思いがあった。だからこの表紙はそれがグラフィカルに表現されているとも言える。
ナカグロを抜いてタイトルを改変してしまうというのは、そこまで大それたことではないにしても、一応それなりの意思がないとできないことだろう。三者を三つ巴のように捉えたいということは、たぶん事前に服部さんには伝えていなかった気がする。しかし服部さんからこういうデザインが出てくるのは特に不思議には思われない。『建築家・坂本一成の世界』(LIXIL出版、2016年)のときも、「主従関係というか、起承転結的なものではない配置にする」ことが意図されていた。

後はこのタイトルをどういうイメージで伝えるかですね。結局、単純に2本の線を引いて、3つの敷地に分けて、日本語タイトル・英語タイトル・出版社名をぽんぽんぽんと置いただけなんですが。本文のレイアウトもそうですが、主従関係というか、起承転結的なものではない配置にするということは、わりと考えていたかもしれません。だから例えばサブタイトルがあると困るなと思ったんです。qp君の『階段』もどうかと思いますけど、仮に『階段──坂本一成作品集』みたいに主従の関係を含むものだと、その順番に見せないといけない、デザインを縛ることになってきますよね。でも今回のタイトルの場合そうではないし、さらに著者名もないというか、坂本さんの名前がタイトルに入っている。普通はタイトルと著者名と出版社名の羅列になりますが、その制約もなかったので、そういう意味ではやりやすいタイトルではありました。