ネットで無料公開されていた、草野なつか『王国(あるいはその家について)』(2019)を観た。驚くべき実験的映画。そのありようは例によって古谷利裕さんが詳細に記述している。

ただ、その極めて刺激的な実験性に引き込まれつつも、非専門家的な映画の観客としては、実験そのものより実験によって得られたものを用いて映画を見せてほしいという気もしてしまう。それは例えば、この映画のストーリーの軸になっている「王国」の存在(あるいは「王国」の存在を信じている人の存在)を監督は本当に信じているのかどうかというような水準の話。例えばホン・サンスの映画も実験性は強いだろうけど、そこでは映画の構造と物語、役者と登場人物が肌分かれせず、渾然一体としている。一方でこの映画は、物語よりも構造、登場人物よりも役者が重視されている印象を受ける。J-POPを聴いていて、音やメロディにはとても惹かれるのだけど、歌詞のせいでいまいち乗り切れないみたいな感じだろうか。