倫理研究所の紀尾井清堂で「奇跡の一本松の根」展を観た(~来年2/9)。建物の設計は内藤廣建築設計事務所(2020年竣工)。クライアントの倫理研究所は1945年創立、「倫理の研究並びに実践・普及により、生活の改善、道義の昂揚、文化の発展を図り、もって民族の繁栄と人類の平和に資すること」を目的とする団体。現職の理事長(3代目)は創立者・丸山敏雄の孫であり、日本会議の代表委員も務める丸山敏秋氏。紀尾井清堂はこの丸山理事長の「思ったようにつくってください、機能はそれに合わせて後から考えますから」という異例の依頼にもとづき、「資本主義的な価値」に簒奪されないような「建築的な価値」を追い求めてデザインされたという(内藤廣「機能なき建築はそれ自身の価値を見出せるか」『建築技術』2022年2月号)。
良い建築の裏に良いクライアントありとはよく言われることだけど、紀尾井清堂はまさにこのクライアントなくしては存在しえなかった建築に違いない。だから紀尾井清堂は(内藤さんが言う「古今東西の廃墟や遺跡」のように)機能のない純粋な建築の様態として捉えるよりも、倫理研究所の思想性や社会的ポジションを踏まえた現代社会のダイナミズムのなかで捉えたほうが、むしろ建築としての真価は見えてくるのではないかと思う。社会的な意味から切り離された自律的な存在として建築を捉えることは、その観念の純粋さを志向することにおいて、却って近代的な態度に思われる。*1*2
紀尾井清堂の建築において、たとえクライアントから特定の機能が求められなかったとしても、建物を建てる目的や理由までがなかったわけではないだろう。むしろ特定の機能がないならばなお、わざわざそれを建てる確かな動機があったはずだ。そしてその動機は建築設計の確かな拠りどころにもなると思うのだけど、内藤さんのテキストではそこへの言及はなく、あくまで「いったい、何を頼りにして設計していけばよいのか」という戸惑いのなかで「純粋に建築的な価値」を追求したことが語られている(とはいえ「生活規範のあり方を問うてきたこの団体とは、20年以上前に御殿場にある研修所を設計して以来のお付き合い」でもあるのだから、たとえ意識的な言語化がなかったとしても、当然クライアントのキャラクターとまったく無関係に設計がされたわけではないと思う。内藤事務所では他に倫理研究所の船橋の社宅も設計しているし、今回の展覧会も内藤さんの発案だというから、両者の結びつきは強い)。
紀尾井清堂におけるクライアントの意味を考えるなら、近代以降の「機能」と「倫理」という概念の関係および変容は重要かもしれない。倫理研究所の施設であるこの建築では現代の機能主義が批判されたけど、おそらくもともと機能主義は人々の倫理観と深く結びついていた。「用の美」を説いた柳宗悦(ル・コルビュジエと同世代)などの文章を読むと、かつての世界では「用」とは人が生きていくために必要なものを意味し(用≒要)、その秩序を逸脱することなく質実に暮らしていくことこそ倫理にかなう行いだと考えられていたと思われる。それは地域や文化に限定されず、ある程度は人類共通の感性だったはずで、たとえばモダニズムの建築で装飾が忌避されたのも、そうした根元的な倫理観に支えられていた面があったのではないか。その点で見れば、紀尾井清堂が「機能」を度外視した上で相当に高い費用を投じて都心の一等地に建設されたことは極めて贅沢なことであり、「倫理」に反すると言えなくもない(あれを「無用の用」と解釈するのも難しい)。
他方でそもそもモダニズムの建築も、谷口吉郎が「高級フランス製化粧水の容器とでもいった程度のもの」などと批判したように(「ル・コルビュジエ検討」『思想』1930年12月号)、「機能」の概念を超越したブルジョワの普請道楽のような側面があり、現実には必ずしもその存在が倫理的とは言えなかった。また、その「倫理」という概念自体、デヴィッド・ワトキンの『モラリティと建築』(榎本弘之訳、鹿島出版会、1981年、原著1977年)でモダニズムの倫理性が自らの美学を排他的に正当化するドグマになっていると批判されているように、時に独善的で押しつけがましいものになるという二面性を持っている。
それから内藤さんは機能主義と資本主義を重ね合わせて批判しているけど、基本的に資本主義で優先されるのは実際の機能よりも商品価値につながるイメージや記号性のはずだし、建築に限れば建物の機能よりも面積や立地が身もフタもなく決定的な要素になるだろうから、ここにも言葉の微妙なずれがある(たぶんどちらかと言うと、機能主義と相性がよいのは資本主義よりも社会主義だろう)。このあたりの「機能」や「倫理」、「資本主義」といった概念を整理することで、紀尾井清堂の存在がより明確に見えてくるのではないかと思う。
以上、建築(および展覧会)の実体から離れて、観念的なことをとりとめなく書き連ねたけど、たぶん根本には実際に建物を観たときの経験があるのだと思う。もし見学時に違った印象を抱いていたなら、この文章/思考はなかった気がする。
建築そのものとしては、できるなら人工照明を落として自然光だけで体験してみたかった。建築における光には「空間を満たす光」と「物体に射してくる光」の2種類があると言われるけど(香山壽夫『建築意匠講義』東京大学出版会、1996年)、四周を閉ざしてトップライトで採光する紀尾井清堂の光は明らかに後者に分類できる。ただ後者の場合、パンテオンでもルイス・カーンでも鈴木恂でも安藤忠雄でも、射してくる光を受けとめるための広い面(主として壁)をつくるのがオーソドックスな手法であるのに対し、紀尾井清堂ではそれはなく、多層の回廊形式によって光を拡散、断片化させている(トップライトの数も1つではなく9つ)。その効果がそれぞれの場所においてどう表れるのか、より素朴な光の有り様を見てみたいと思った。

関連

*1:多くの人々が観光で世界各地の廃墟(ストーンヘンジやパルテノン神殿など)を訪れるのは、そこで機能から解放された「本源的な建築の力が垣間見えるから」というより、その建築を媒介にして、そこにかつてあった機能や生活や文化や社会(そしてそれらが今はもう消えてしまったこと)を無意識のうちにも想像するからではないだろうか。つまり多くの場合、廃墟の魅力は建築の自律性よりも他律性に支えられていると言えるのではないだろうか。修学旅行でまったく興味の持てなかった京都や奈良の古社寺が、歳をとって人生経験を積むなかで魅力的に見えてくるという体験は、そのことを示しているのではないかと思う。廃墟は廃墟で魅力があるとしても、たとえば古代にタイムスリップしてその場所で普通に使われているパルテノン神殿を見たほうが、廃墟として見るよりも感銘は深いだろう。人間の場合、その人が亡くなった後のほうがむしろ親密に感じられるということはあると思うけど、建築はやはり生きて使われていたほうが基本的にはよいのではないか。現代の建築保存の問題を考えてもそう思える。「どんな古く醜い家でも、人が住むかぎりは不思議な鼓動を失わないものである」(多木浩二『生きられた家──経験と象徴』青土社、1984年、p.9)。

*2:ここでの内藤さんの主張は、1960年前後、当時の機能主義を批判して「無駄な空間」や「空間の響き」を求めた篠原一男の主張と重なるかもしれない。また、建築の自律性・純粋性の追求、強い幾何学的秩序による明快な構成、同時代の主流を通俗的なものとして批判する態度、古典建築へのロマン主義的な接近といった点で、18世紀から19世紀にかけての新古典主義の美学にも通じるだろうか。