『住宅建築』12月号(10月17日)に寄稿したテキスト「若気のいたりで撮られた写真」を、『住宅建築』編集部の了承も得て、noteで再公開した。写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』(編=飯沼珠実、寄稿=今福龍太、建築の建築、2020年)の書評として書いたもの。
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もともと「この本については何も語らないつもりだった」(7月26日)はずが、いざ書いてみるとやはり多くの人に読んでほしくなる。というか書評を書くだけでは飽き足りず、ネット配信()でしゃべるまでになった(そちらでは意図して本書自体にはあまり触れていないけれども)。
この書評が『住宅建築』に載った後、ある近しい人から、「新刊の書評はポジティブにその本の可能性を引き出すべきであって、これは良い書評とは言えない」というようなことを言われた。「批判」を批判する古谷利裕さんの言葉(7月12日)を思い出す。ただ、その人が指摘してくれたことの意味も分からないではないけれど、可能性という言葉を使うなら、僕としてはこの書評では、今回の写真集の批判を通してむしろ多木浩二の建築写真の可能性を開くようなことをしたつもりでいる。批判とは、ある物事の誤りや欠点や限界を指摘することで、別の可能性を開く行為ではないだろうか。多木さんの写真をことさら持ち上げたいわけではないのだけど、今回の写真集の存在によって、その写真やそこに写る建築、多木浩二本人、さらにはそれらをめぐる生きられた歴史が、いいかげんなレッテルで片付けられてしまうのは忍びない。そういう思いが根本にあった。
実際、僕がこの書評でした批判はまったく独創的なものではなく、写真集としてパッケージングされ完結したものに対してそれと符合しない外部の事実を示し、「閉ざされているところ、隠蔽があるところ、一部に限定がなされるようなところ」(2018年7月17日)の風通しを良くしたということだと思っている。