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「建築写真」には人がいない、ということがよく(批判的に)問題にされる。僕も「この人を入れたかったんだな」と見透かされてしまうような写真は避けたいけど、人が写り込むこと自体はあまり苦にならないというか、むしろ望むところという場合が多い。ただ、写り込む人が自分と同じくその建築の写真を撮っている人だと、フレームアウトしてほしい気持ちが強まる。鏡に映った自分のように感じられるからだろうか。建築の純粋な体験者/撮影者としての自分の存在がぐらつき、下手にその人を意識して撮ってしまうと、上から目線の皮肉っぽい写真になってしまいそうな気がする。
たしかこの《光の教会》の原寸模型の写真(2017年11月20日)なんかは、混雑するなかで人を除いて撮るのも不自然だし、かといって人を写して皮肉っぽくなるのも嫌だなと思いながら撮った覚えがある。