新型コロナの非日常のなかでふいに内田百閒の随筆(2011年3月16日)を思い出し、ひさしぶりにぱらぱらと『百鬼園日記帖』(福武文庫、1992年)をめくってみた。以下、目に留まった一節。

子供に神秘的な恐怖を教えたい。その為に子供が臆病になっても構わない。臆病と云う事は不徳ではない。のみならず場合によれば野人の勇敢よりも遥かに尊い道徳である。暗い森を見てその中にいる毛物(けもの)を退治しようと思う子供よりも、この暗い森の中にどんな恐いものが住んでいるだろうと感ずる子供の方が偉い人間になる。(大正6年9月24日付)