トラン・アン・ユン『青いパパイヤの香り』(1993)を家で観た。1950年代から60年代初めのベトナムを舞台にした作品。タイトルは色んなところで目にしながらなんとなく見過ごしていたけど、観てみるとやっぱり面白かった。この監督の作品を観るのも初めてで、アジア的な素朴さや純真さが前面に出た映画と思いきや、それもある一方、作品としてはかなり構築性が高い(監督はベトナム系フランス人)。
前半と後半でそれぞれ1軒ずつ家が出てきて、実際の映画の舞台はほぼその2軒の家に限られる。どちらも使用人とともに暮らすような広い家で、庭や土間も含めて様々な空間性を持っており(特に前半の家は伝統性・様式性が強く、用途として店舗も含んでいる)、またベトナムなので個々の空間は開放的で、空間同士は分節されながらも連続している。
このふたつの家は実は本物ではなくセットらしいのだけど(敷地はフランスのパリ郊外)、家は物語を存分に活かすようにデザインされ、また物語は家を存分に使うことを念頭に組み立てられている、と思えるほど映画と建築とが密接に関わっていた。もっと分析的に観れば、建築的な視点でなにかしら論じてみることもできるかもしれない。音楽の使い方が1960年代くらいの日本映画(勅使河原宏とか)を思わせる感じで印象深く、それも映画の空間性に影響を与えていたと思う。
みずみずしく写された植物や虫や水や料理などに目を惹かれる一方、映画の空間全体にはどこか箱庭のような抽象的な印象も受ける。それはふたつの家がセットであることや、計算し尽くされたカメラワークや、シンデレラ・ストーリー的な物語とも関係することかもしれない。石上純也さんがこの作品を「群を抜いて好きな映画」としているけれど(『映画の発見!』DETAIL JAPAN別冊、2008年)、たしかにそれはすんなりと肯けることで、この自然/人工のあり方は石上さんの建築にも通じると思う。