昨日挙げたほかに、このところアッバス・キアロスタミの『友だちのうちはどこ?』(1987)、『そして人生はつづく』(1992)、『オリーブの林をぬけて』(1994)、『桜桃の味』(1997)も続けて観たのだった。キアロスタミの映画については自分なりに文章にしてみたいという思いがあるけど、今のところ手に負える感じがしない。とりあえず今回観たニューマスターBlu-ray BOXⅠ()に加え、BOXⅡ()のほうも注文した。
現時点でひとつ確かな実感としてあるのは、映画が詩になっているということ。詩(ポエム)という言葉は今の日本でひどく手垢にまみれているものの、とりあえずウィキペディアの「詩」の項目()にある定義──「言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式」──でよいと思う。単に映画としてその場の情景や物語だけを示しているのではなく、それが同時にもっと大きなことを別の階層で表現しているように感じられる。それは寓話というほど具体的・象徴的・直接的ではなく、曖昧なイメージではあるけれども風通しがよく心地よい。
キアロスタミにとっての小津安二郎の存在の大きさをよく知らなかったのだけど(大きいらしい)、今回観ていて小津の映画と似た感触を節々で感じた。人間や世界を超越的・形式的に捉える温かくも醒めた眼差しとレトリカルな手つき。よく言われるフィクションとリアルの重ね合わせというのもやはり重要だろう。たとえば「友だちのうち」に辿り着こうとする『友だちのうちはどこ?』の構造をスケールを変えて反復する『そして人生はつづく』は、フィクションである前者の舞台裏を明かしてしまう半ドキュメンタリーのはずなのに、実際には前者の世界の虚構性を暴くことにはならず、逆にその世界の実在性を実感させるという不思議な体験をもたらす。
そのうちキアロスタミの映画について多少なりとも意味があることを書ける時が来るだろうか。別にわざわざ書かなくても映画を楽しめればそれでよいのかもしれないが、自分にとって重要なある種の作品においては、自分で書くという行為がその作品をより深く楽しむことにも繋がっていくように思われる。