昨日書いたことの具体例。最近、ブライアン・デ・パルマ『カリートの道』(1993)と、クエンティン・タランティーノ『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)を家で観たのだけど、どちらの作品も暴力が描かれていて、人が殺される。しかしそのことに対して、以前観た『クリーピー 偽りの隣人』(2019年6月16日)に抱いたような直接的な嫌悪感はなかった。むしろどちらの作品も面白かったと言える。けれども昨日書いたような意味で極論すると、やはりこの2作もまた、社会において暴力というものを(認識のレベルで)一般化させる働きを持つのだろうと思う。
下の映像でアキ・カウリスマキが小津安二郎について語ることに共感する。「アメリカ映画の影響を受けて育った私が 小津監督を尊敬するのは 人生の根源を描くとき一度として 殺人や暴力や銃を使わなかったことです」。