昨日は日本建築学会の建築論・建築意匠小委員会が主催するシンポジウムに登壇するために《みんなの森 ぎふメディアコスモス》を訪れたのだった。「建築論の問題群」という連続研究会の「聖」というテーマの回だったのだけど、その研究テーマ自体が部外者へのアンケート結果に基づいて決められたものだといい、なぜいまことさら建築論として「聖」を議論する必要があるのか、おそらく登壇者の誰一人として確かな実感を持っていないという不思議な集まりだった(とりわけ「聖」という概念を考える上では、その内的必然性のなさは決定的な欠陥になってしまうと思う)。それでも議論を活性化させようとあえてポレミックに組み立てた僕の発表も空回りだったけれど、せっかくこつこつと時間をかけ準備したものなので、発表時のスライドだけでも下に掲載しておくことにする。







僕個人の関心としては、スライドの13で書いているようなことに持続的な興味を持っている。概念が先か個々の現実が先かという問題をめぐっては、これまでもたびたび書いたり引用したりしてきたけれど(2月1日1月29日2017年12月18日2017年8月7日2015年6月20日)、たとえば坂本先生の建築における社会性という概念も、ご本人はずっと自分の建築には社会性がないと思っていたところ、《代田の町家》(1976)で多木さんに指摘されて初めてその社会性に気づくといったように、概念は現実より遅れてやってくるのが本筋ではないかと思う。