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11月1日にプレオープンしたHareza池袋で、岡﨑乾二郎さんによる壁画作品《ミルチス・マヂョル / Mirsys Majol / Planetary Commune》を観た。3棟にまたがって連続し、大きく分けてタイル部分とガラス部分とがある。

この作品は、岡﨑さんが監修した『美術手帖』2008年8月号(特集:現代アート基礎演習)を参考にすると理解が深められるかもしれない。ガラス部分がクレー的(物質的な透明性)、タイル部分がアルバース的(論理的な透明性)と言えると収まりがいいけれど、実際にはガラス部分も多分にアルバース的。タイル部分にはグロス/マットの質感の違いや微妙な凹凸もある。

透明とはなんでしょうか? 同じ一つの場所に同時に二つ以上の物体が在ることはできません。透明とは、にもかかわらず、それらが同時にそこに在ると感じられること。あるいは、その二つ以上の両立しない要素が重なりあって相互に浸透し、連続して見える状態です。
例えば、水彩は色を上に重ねても下の色が透けて見える。二つの色の重なりはもう一つの中間の色を生む。でも、この方法では二つからつくり出されるのは一つです(物質的な透明性)。水彩によるクレーの絵はこの方法を洗練させ、二つの色を結ぶ間に無数の美しい諧調をつくり出しています。対してアルバースの絵は不透明色で、たった4色で塗り分けられているだけ。にもかかわらず、どの色と色の間にも、呼吸と浸透、つまり透明な拡がりが感じられる。どの色と色も、そのつど異なる形で結びついたり離れたりを繰り返しているからです(論理的な透明性)。色彩と色彩の終わりなき会話、無数の言葉。

  • 『美術手帖』2008年8月号(特集:現代アート基礎演習)、p.17

岡﨑さんによるパブリックアート系の作品(2010年2月2日)は、ホワイトキューブで観るような自律的・専門的な鑑賞に対応するとともに、いかにも作品然と主張することがなく、その場の環境になじみながら多くの人にとっての豊かな背景にもなる大衆性を持っていると思う。今の日本の都市において、これだけの規模で日常のなかに「作品」が成り立っているということに、希望のようなものが感じられる。以下、写真4点。
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