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金沢旅行1日目。犀川を越え、高台にある《谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館》(設計=谷口吉生、2019年竣工)へ。谷口吉郎が暮らした家の跡地だという敷地は、そこそこ車通りのある坂道の途中に位置し、裏手側から犀川越しに金沢の街を見渡すことができる。金沢に点在する谷口父子の建築を統合するような施設ができたことをまずは喜びたい。開催中の開館記念特別展「清らかな意匠──金沢が育んだ建築家・谷口吉郎の世界」(〜2/16)も、谷口吉郎の活動の全体像を描くような内容。
展示(常設)の目玉である《迎賓館赤坂離宮 和風別館》(設計=谷口吉郎、1974年竣工)の広間と茶室の再現は、新築の建物にぴったりとはまり、むしろこの谷口吉郎の代表的な仕事を見せることを核にこの建築が設計されただろうことを窺わせる。ただ一方で、再現部分は立入禁止となり、元の建築の環境や文化や体験からは切り離されているので、この展示は自ずと部材の組み立て方の洗練や素材・施工のよさなど、物質的・視覚的なところが注目されることになると思う。それ自体、たいへん見応えがあるとしても、谷口吉郎の建築を捉えるには欠落が多いことにも注意する必要があるかもしれない。
おそらく谷口吉郎がいう「清らかな意匠」(3月22日)というのは、以下、『建築と日常』No.5()で抜粋した吉田鐵郎の文章で書かれる「ただの水」のようなものだろう。しかしここでの扱いは、どちらかというと「蒸留水」に近い気がする。それは水盤越しに現在の金沢の街を見渡す眺めをあえて木々で遮っていることが象徴しているかもしれない。

純粹なものがいい、いや複雜なものがおもしろい、とふたりの男が論じあつて、たがいにゆずらない。あげくにひとりがいつた。
『とにかく、僕は純粹なものがいいなあ。ちようどすきとおつた水のような……』
すると、ひとりが念をおす。
『それぢあ、蒸溜水ならなおさらいいわけだね』
『いや、そうぢあない。ただの水だよ。蒸溜水は、純粹は純粹だろうけれど、味がない。純粹といつたつて、乾燥無味ぢやこまるよ。微妙な味がなくちやね……』
『それぢあ、純粹といつても複雜なところもあるわけだね』
『……なるほど、そうか』
そこでふたりは顔をみあわせて樂しそうにわらつた。

  • 吉田鐵郎「くずかご」『建築雜誌』1950年3月号

以下、写真2点。
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