進歩が抗し難い力を持つと考えた者は左翼に属した。右翼に属したのは、それに対して慎重であるよう忠告した人々で、自ら保守派と名乗ったが、彼らの敵対者たちは彼らのことを反動と呼んだ。誠に残念なことに、われわれは、政治そのものにおけるこの単純な図式が、多くの状況の複雑な現実を歪曲し、誤らせたのを体験してきた。(pp.1-2)

エルンスト・H・ゴンブリッチ『芸術と進歩──進歩理念とその美術への影響』(下村耕史・後藤新治・浦上雅司訳、中央公論美術出版、1991年、原著1978年)を読んだ。この高名な美術史家の著作はほとんど読んだことがないのだけど、おそらく彼自身は「進歩が抗し難い力を持つと考えることに対して慎重であるよう忠告した人」であり、単なる学習のための読書という以上に思想として共感できる気がする(よく知られている『美術の物語(美術の歩み)』も読んではいないけれど、図書館で前書きに目を通しただけで信頼できる人だと思った)。
この本で主に彫刻と絵画を通して論じられている芸術と進歩理念の関係は、建築の分野で考えても興味深い変奏を見せるかもしれない。というか僕が知らないだけで、すでに書かれていてもごく当然のようにさえ思われる。個人作家の作品歴という枠組みで見れば、『建築家・坂本一成の世界』(LIXIL出版、2016年)で各作品の並べ方について考えていたこと(時系列という一般的な形式を採用しつつも、その形式がまとう線的な進歩史観をいかに相対化するか)にも響いてくる(2016年10月17日)。既成事実化された「歴史」に対する批判意識は、近年の岡﨑乾二郎さんの態度にも通じるかもしれない。以下、抜粋メモ。

歴史家は後ろ向きの予言者と呼ばれてきた。ランケの著名な言葉によれば、その責務は「実際はどうだったのか」を問い質すことだが、歴史家は「本当はどうしてそうなったのか」ということも、ぜひ知りたいと思うものである。とりわけ自らの生きる時代に目を向けた時、こうした問題提起に歴史家のやる気はかき立てられる。(p.87)

「[…]美術上の事象はすべて、自然法則にも似て確実に展開する一連の諸様式や諸『傾向』に解消してしまった。ある様式傾向内で美術作品が占める位置だけが重要な意義を獲得し、外見上の特徴によって、価値のある作品か否かが決定されたのだった。こうしてあの『何とか主義(-ismus)』の輪舞が始まったのであり、それらが生成する時間は次第に加速され、遂にはグロテスクなまでに速まった。春のサロン展と秋のサロン展との間には越え難い断絶が口を開けており、若き天才たちの発展段階は月毎に記録され、作品は絵の具が乾く間もなく古臭くなった。
 これら全てに対して、美術史の肥大が責を負っていることは確かであり、表現主義は美術史家の責任だと弾劾する人たちもいるが、彼らはなるほど、ある意味では正しい。だが美術史家よりむしろ、支配的な歴史主義を非難する方がより正しいだろう。美術史家の数の多さも彼らの権威も、明らかに歴史主義の一つの兆候に過ぎないのだから。芸術家たちもまた、歴史主義の力から逃れられず、幾人もが、美術を創造するのではなく、ある様式に倣うことに努めてきた。彼ら自身にとってさえ、作品はそれ自体で完結した総体ではなく、彼ら個人の発展における通過点、鎖の繋ぎ目にしか過ぎなかった。作品はそれ自体として鑑賞するものではなく、前後との関連によって興味が持たれたのである。作品は創造物ではなく、記録だった。」(p.90、ハンス・ティーツェ「表現主義の危機」からの引用)

私はヘーゲルに好意を抱いているわけではないので、弁証法を、人が常に正しくあり得るための処方箋と呼びたい。(p.110)

 敵対する陣営の論争を一目で分かるような体系にまとめてみることも可能だが、以下に羅列する表現が何れも記録にはっきりと残されているわけではないことをここでお断りしておかなくてはならない。普通の活字で印刷された単語は支持者たちの間で通用する肯定的な意味を表わし、傍線を付した単語はそれを否定的評価に置き換えたものである。

  • 不変の/独創性に欠ける ─ 新しい/奇抜な
  • 上品な/ブルジョワ的な ─ 革命的な/破廉恥な
  • 簡素な/味気ない ─ 情感をかきたてる/人騒がせな
  • 理想/偽り ─ 真実/月並み
  • 保守的/反動的 ─ 進歩的/頽廃的

一九世紀は恐らく、美術の様式が主義主張を表わす目印としての役割を果たすこととなった、歴史上最初の時代であろう。誰であれその周りに置いてある絵画から、その人が政治的、社会的にどこに所属するか、推測することもできた──もっとも、当然ながら誤った結論に至ることもあった。一九世紀はまた美術史家たちが、様式の歴史を、初めて社会集団の力の表出として説明することを試みた時代でもあった。だがその際、このような方法が容認できない類推に基づくことも多々あることは、完全には明らかにされなかった。(p.117)

まさにこの、美術を自然科学に、常に前進しようと努力し、常に次の段階を期待して注意を怠らない自然科学に近づけようとすることこそ、私にはモダニズムの最も重要な特徴であるように思える。一九世紀の美術史の記述は概ね、かなりひどくこうした物の見方に捕らわれていたため、一九世紀に実際に起こったことを振り返る時、この進歩という図式が、どれ程までにわれわれの見方を曇らせてきたのかが、徐々にではあるが、今になってやっと認識されて来つつある。こうした〔進歩思想に基づく〕解釈に適合しない、極めて多くの創作品は、ほぼ体系的に美術史から除外されてしまっているのだ。(p.122)

学問においては、時代遅れとなった理念に固執して、例えば地球は平らだと主張することは、地球が丸いことはとっくの昔に証明されている以上、愚かなことであり、非難すべきことでさえあるだろう。学問は真理に向かって奮闘努力しているのであり、真実よりも虚偽を選ぶことなどできないのだ。しかし、虚偽の側に立つべきでないのは当然であっても、ある特定の学問上の計画や技術上の革新について、その目的と手段を議論し問題とする権利は存する。われわれはやっと、われわれが抗し難い進歩の受動的な操り人形ではなく、そうなる可能性が生じたとしても簡単にそうする必要は全くないことを理解するに至った。こうした可能性がわれわれの価値観と衝突する場合には、われわれははっきりと、落ち着いて、「否」と言えなくてはならないのである。
 進歩理念の正当化が起こる度にそれを問題とする勇気を持たなくてはならない、という意識は次第に強まりつつあり、この意識が芸術にも影響を及ぼしていくだろうと私には思える。今日の芸術教育の場においては、他のどの場合よりも、一定の距離を保って、そもそも芸術に何を求めるのか問い直してみることが焦眉の急となっている。何の考えもなく新しいものを手放しで賛美しても、決して人類の様々な価値の埋め合せにはならない。そして芸術はそのような人類の価値にこそ立脚しなくてはならないものなのだ。(pp.145-146)