アトリエコ設計のO邸を見学。奥行きの深い敷地で平面を縦長に2分割し、一方を開放的に、もう一方を閉鎖的につくっている。開放的なほうは奥に行くにつれ幅がすぼまり、逆に閉鎖的なほうは幅が広がっていくことで、住宅としての用途に対応している。幾何学的な強い構成と生活のイメージとの重ね合わせは以前見学したH邸に通じる(3月3日)。
見学後、そのまま歩いて駒込のときの忘れものへ行き、「佐藤研吾展──囲いこみとお節介」を観た(〜12/22)。ギャラリーが入る建物は阿部勤さんの設計による住宅建築(1994年竣工)。複数の木製のオブジェはそれぞれピンホールカメラの機能を持っており、それらで撮影された写真が合わせて展示されている。個々のオブジェには物体としての魅力があり、さらにそれが原始的ながら撮影機能を持つ道具であることにも惹かれるものがある。しかし一方で、その物体が様々なバリエーションで複数存在することは、その個々の道具性を弱め、あくまで作品然とした表情を前面に見せることになっている気がする。もし個々の物体がより純粋な道具だったなら、おそらくそこまでのバリエーションは必要ないだろう。むしろ作者はまず一つ一つの道具の個性を実際に使用するなかで知っていき、それぞれの道具との固有の関係を築いていく必要があるはずだ。もちろん一概に「道具」だと良くて「作品」だと駄目だということはないわけだけど、こうした道具性と作品性の二元論的な関係が問題になるあたりは、佐藤さんの先生である石山修武さんの仕事を思い起こさせる。