今日で終了の白井晟一の原爆堂展、気になりながらも結局行かなかったのだけど、たまたま人から勧められ、ネットでインタヴュー動画を観てみた。今回の展覧会に際して作られたもので、4人の人が白井晟一のことにとどまらず幅広いテーマで語っている。ただ、編集でかなり切り貼りがされているため、それぞれの人の話の重心がどこにあるのか今一捉えきれない。
原爆堂計画は今でも言及されることが少なくない伝説的なプロジェクトだけど、僕はどう位置づけていいのかずっと確信を持てずにいる。例えば白井晟一が求める「かつて人々の眼前に表われたことのない造型のピュリティ」が実際の平和にどう繋がるのか、その道すじがよく分からない。あるいは有名なドローイングに衝撃を受けたとして、その「衝撃」が人類を戦争から遠ざけるのかどうかも分からない。もし仮に遠ざけるとすれば、それは別に戦争や原爆をテーマにしたものに限らず、力がこもった芸術作品にはそういう効果があるのではないかとも思う(と同時に、芸術作品における「衝撃」は、人間を平和とは逆の方向に向ける効果を持つ場合もあると思う)。
平和を実現する道すじという意味では、『建築と日常』No.3-4で引いた吉田健一の言葉、「戰爭に反對する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」()のほうが、僕にはリアリティを感じられる。作品ということで考えるなら、原爆堂のように衝撃的で唯一無二のものよりも、柳宗悦がいう民藝のように穏やかで日常に遍在するもののほうが、平和と通じていそうな気がする(柳宗悦がいう「民藝」と白井晟一がいう「豆腐」「めし」は意味としてかなり近そうなのだけど、両者の文体は大きく異なっていて、その文体の差異が両者の思想の決定的な差異を示しているように思える)。