Googleマップで色んな場所を3Dで眺めるのは楽しい。いわく言いがたい爽快さがある。人間が太古の昔から鳥の視点を持ちたがってきたという歴史を実感する。僕は世代的に空を飛ぶ視点といえば『ドラゴンボール』で、子どもの頃に見たその夢の感触を思い出したりする。
『建築のポートレート』()に載る建築や都市でも3Dで見て面白いところは色々あったけど、まあ分かりやすいかなと思って、昨日の日記(3月2日)ではテンピエット(1502-10年)の画像を掲載した。香山先生が訪れた50年前と、現地の状況はほとんど変わっていないに違いない。建物の中庭に小さな記念堂が立っているのが見えて、先生が本のなかで書かれていたこともよく説明する。その時代の建築を扱った本ならどんな本にでも載っているくらいの有名な建築だけど、ああいう視点で見られる本はまずないだろう。テンピエットの写真を見慣れている人ほど、昨日の画像(あれはやはり「写真」とは呼べないだろうか)には新鮮さを感じると思う(ちなみにテンピエットは僕も学生の頃に訪れたことがある)。
俯瞰の画像は単にその場所の物理的な環境を示すだけでなく、あの建築の当時の在り方まで想像させる。ローマの街の中心から離れた丘の上、それも別の建物に囲われたごくごく小さな建築が、当時なぜ「ルネサンスの代表作」とされ、絶対的な評価を得ることができたのか。それまでの偉大な建築は、神殿なり教会なり宮殿なり、基本的に人々の目に付くところに立っていて、社会的に有効な機能をもち、人々の生活のなかで存在感を放つものだったはずだけど、実際上の機能はほとんどなく、日常生活とも関わらないようなテンピエットの建築が絶賛されるというのは、それだけ建築というものが作品として自律し、社会的な文脈とは別のところで価値が認識されるようになっていたことを示すのかもしれない、といったようなことを視覚的に直観させる。本当のところは知らないけれども。
また、Googleマップ上でもっと視点を引いて見れば、同じローマのパンテオン(125-128年)、サント・ステファノ・ロトンド教会(467-483年)、サン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンターネ聖堂(1641/68年)などとの位置関係がリアリスティックに把握できる。ローマの街に馴染みがない人間にとっては、それも貴重な体験になる。さらにもうすこし離れたところには別荘地としてのヴィラ・アドリアーナ(118-138年)もある。建築史の通史では時代ごとに間にたくさんの(別の都市に立つ)建築を挟んで何ページも離れて掲載される建築同士が、一続きの都市空間のなかで同時に把握される。3Dの俯瞰で自由に視点を動かして都市を移動するのは、これまでの平面の地図で見るのともなにか決定的に異なる体験のような感じがする。模型で見る体験のほうに近いかもしれないけど、しかしそれともやはり違っている。
ローマのことを考えていたら、以前このブログ(2010年2月13日)で引用した文をふと思い出した。

ローマという都市の像において、目的をめざす人間の営みが幸運な偶然によって一つに結ばれ、予期せぬ新たな美を生み出すさまが、この上ない魅惑を獲得しているように思われる。ここでは数限りない世代また世代が、連なり合い重なり合って、仕事にいそしみ建設に励んだ。そのいずれもが、自分の眼の前にあるものには何の顧慮も払わず、それどころか、時には何の理解も持たずに、ひたすらその時々の必要と当代の趣味なり気まぐれなりに献身していた。古いものと新しいもの、荒れはてたものと元のままに維持されたもの、調和的なものと不調和なもの、そこからどんな全体的形式を生ぜしめるかは、もっぱら、まったくの偶然の決定に委ねられていた。にもかかわらず、全体は測りがたい統一性をそなえ、さながら明確な意志がその諸要素を美のために結集したかのように見える。そのことから考えると、この魅惑の力は、部分の偶然性と全体の美的な意味とのあいだに大きな距離があり、しかもこれが宥和されているところから生ずるのかもしれない。世界を構成する要素がどれほど無意味かつ不調和であろうと、合一して美しい全体の形式を形作るのにいささかの支障もないということに、喜ばしい保証がここで与えられている。ローマの印象は、ここに痕跡をとどめている時代や様式や個性や生活内容の距離が、世界のどこにも見当たらぬほど遠くかけへだたっており、しかもそれらが、これまた世界のどこにも見当たらぬほど、一つの調子に統合され諧和しているという点で、まことに比類を絶している。