昨年末(12月22日)に劇場用プログラムのための文章を執筆した映画『もしも建物が話せたら』(全6話、製作総指揮ヴィム・ヴェンダース)に関連して、以下のふたつのトークイベントに参加することになりました。映画の封切りは2月20日なので、公開前イベントということになります。
ふたつは会場や形式などは異なりますが、「建築と映画」「建築と言葉」という対になるようなテーマを設定しつつ、またどちらも去年の『建築と日常』No.3-4(特集:現在する歴史)に協力していただいた方にご登壇いただくということで、その場限りの放談にとどまらない広がりを持った対話になればと思っています。

建築と映画の関係について

上映作品はヴィム・ヴェンダース監督「ベルリン・フィルハーモニー」(ハンス・シャロウン設計)と、ロバート・レッドフォード監督「ソーク研究所」(ルイス・カーン設計)の2話です。時間は限られていますが、同じヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』(1987)における建築のあり方なども参照しつつ、文化や教養のレベルにおいて、建築と映画の関係を考えてみたいと思っています。
小野さんと西尾さんには、『建築と日常』No.3-4のほか、5年前の『映画空間400選』(INAX出版)でもご協力いただきました。下記リンク先に、西尾さんによるトリュフォー終電車』評と、小野さんによるキアロスタミオリーブの林をぬけて』評が、サンプルとして掲載されています(長島の『崖の上のポニョ』評も)。
http://www1.lixil.co.jp/publish/user_book/kukan400_index2.html

建築と言葉の関係について

香山先生はかつてご著書で、「ヨハネの有名な言葉、『初めに言葉ありき』に『建築』を付け加えて『初めに言葉と、建築ありき』と言いたい気持にもなります」と書かれていました(『建築意匠講義』東京大学出版会)。今回は映画の問題設定を起点にしつつ、そうした本質的なレベルにおける建築と言葉の共通点、および相異点、それから現代における「建築と言葉」の状況などを考えてみたいと思っています。『建築と日常』No.3-4でのインタヴュー「歴史としての建築」でも言葉については語られていましたが、それと連続する内容になるかもしれません。「建物の声に耳をすます」という文脈で、先生が改修設計を手がけて1月にオープンしたロームシアター京都(旧京都会館前川國男設計、1960年竣工)のことも話題にしたいと思っています。