今月末で閉館するホテルオークラ本館(1962年竣工)を訪れた。建設委員会の委員長だった谷口吉郎が設計を担当したというメインロビーがすばらしい(他の委員は小坂秀雄・清水一・岩間旭・伊藤喜三郎)。シンプルな構成のひと繋がりの空間でありながら、それぞれの場所によって空間体験の質が異なる。連続していながらそれぞれの場所が独立して、周囲のざわめきを喧噪に感じさせない。魔法がかけられたような空間。学生の頃にもいちど覗いてみたことがあったのだけど、この空間の良さは感じられなかった。
こうした空間を客観的に捉えようとすると、どうしても空間構成やスケールの扱いに意識がいってしまうけれど、いわゆる「和モダン」と称されるような多彩な装飾も、当然この体験の全体に大きく寄与しているのだろう。はたしてこの空間の核心を日本的と言ってよいのかどうかはよく分からない。ただ、単純な3次元座標でつくられた空間ではないだろうし、なんらかの伝統に根ざしているのだとは思う。下の大江宏の言葉も、おそらくそのことに触れている。

いうまでもなく、実証という科学的方法そのものはきわめて大事にきまっているんですよ。ただ、科学としての歴史学を追及[ママ]するのあまり、建築の匂いとか香りとか、ロマンまでも失っていった建築史になってしまっては絶対に困ると思うのね。[…]
やはり問題はひとだね、ほんとに。そう思って見てくると、ぼくは谷口吉郎さんというひとが、そういう歴史意匠の系譜としては大事なひとだったと思う。流麗、軽妙なるものを身につけていた、稀なひとりですしね、谷口さんは。

  • 大江宏インタヴュー「歴史意匠の再構築」聞き手=宮内嘉久、『大江宏=歴史意匠論』大江宏の会、1984

東工大谷口吉郎(1904-79)というと、それ以降の清家清(1918-2005)、篠原一男(1925-2006)、坂本一成(1943-)らの系譜とは切り離されて認識されているきらいがあって(少なくとも僕くらいの世代にとっては)、なんとなく現在とは繋がっていない「歴史的存在」のような気がしていた。しかし系譜的な繋がりはともかくとしても、そういった「歴史」が生き生きと現在していることは、今回ぎりぎり最後の最後で感じることができた。以下、他の写真と竣工時の平面図。






  • 図面出典=『新建築』1962年7月号